昔、あるお父さんに二人の男の子がありました。お父さんの名前はフリードリヒと言いました。お父さんは。兄のほうには「この子に輝かしい未来が約束されていますように」とギル ベルト、弟のほうには「どんな運命が待っていようと立ち向かっていけるように」とルートヴィヒ、と名づけました。
 ふたりのうち、兄は強くて美しかったのですが(少しばかり傲慢ではありましたが)、弟は小さくて身体が弱く、兄はそんな弟を不憫に思って、たいそう大事に大事にしていました。 お父さんが亡くなってからはなおさらです。兄は自分のことを大変愛していましたが、それよりずっと弟の方が可愛かったのです。大好きなメイプルシロップがたっぷりかかったあつあつ のホットケーキを進んで分けてやるくらいに。兄は一度出かけると、いつも傷だらけになって帰って来ました。兄は、弟のためなら自分がどんなに傷ついたって全然平気だったのです。
 でも、弟のほうはそうではありませんでした。守られてばかりの自分がふがいなくて仕方がありません。むしろ、自分の方が兄を守ってあげたかったのです。でも、自分の手はいつ まで経っても木の葉のように小さいばかりで、それが悔しくてたまりませんでした。
 ある日、弟は決心して広い広い世界に旅に出ました。少し行くと、三匹の犬に出会いました。



「どこに行くんだ?」



 そう聞くと、その内の長い金色の毛並みの犬が、



「私たちは、これから人間が住んでいるところに行くのです。そこはとても豊かで賑やかだと聞きますから。ところで、あなたはいったいここで何をしているのですか?」



 と聞き返しました。気の優しい犬たちに、弟は自分のことをすべて話すことにしました。弟がなにか言うたびに、三匹の犬はみんな、うんうんと頷いて、もふもふした頭を縦に振ります。 弟が話し終えると、頭と背中のあたりにだけ黒いインクを落としたような模様の犬が言います。



「あなたの言うことはすっかり分かりました。私たちと一緒にまいりましょう、どうか人間のいるところで一緒に暮らしましょう」
「でも、俺は他の人とは少し違うんだ。それでも受け入れてもらえるだろうか」
「ええ、きっと、きっと。大丈夫、ルートヴィヒ。みんなが貴方を待っています」



 真っ黒ですべすべした毛並みの犬の言葉に、ルートヴィヒは頷きました。それから、ひとりと三匹は小さな町へやってきました。そこで弟は、粗末な小屋を見つけて、三匹の犬と一緒 に暮らし始めました。弟は一生懸命働きました。真面目な弟は、すぐに周囲の人間に受け入れられました。それからひとりと三匹は、そこですばらしい暮らしをしました。






 さて、もう一人の兄弟の方にも目をやってみましょう。弟が去ったあとの兄の生活は、長い間うまくいっていました。でも、やがて世界がだんだん暗くなっていきました。大きな戦争 がありました。兄もまた、戦争に行かなければいけませんでした。兄は故郷からずっと遠くの東のほうまで行くことになりました。心まで凍えてしまいそうな凍土の上を、何日も何日も かけて歩きました。そのうち、凍傷で右足を駄目にしてしまいました。何もかも失ってしまったままで、戦争が終わりました。だけど、今度はもっと冷たい時代がやってきました。だれも かれも信じられない中で、息をひそめて生きているうちに、兄は故郷に帰れなくなってしまいました。どうして、自分の故郷に帰ることさえ許されないのでしょう。悲しい時代でした。 そんな時代を、兄はたった一人で、ぼろぼろになった身体を抱えて、生きてきました。
 ―――そうしてこのかわいそうな男も、世界が少しだけ明るくなって、故郷に戻ってきました。男は、できるだけ人間のたくさんいる、賑やかなところに行こうと、駄目にした右足を ちょっと引きずってひょこひょこ歩いて行きました。やがて、ある家の前にやってきました。立派な家でした。ささやかな畑もあります。それは弟の家だったのですが、菩提樹の下で 三匹の犬を従える青年が弟であると気づけません。弟は昔の弟ではなくて、今の兄より、いいえ、昔の兄よりずっと、たくましくて力強かったのです。でも、弟はすぐに兄に気付いて、



「何か用か」



 と尋ねました。すると男は倒れこむようにして地面に手をついて、



「ああ、神様、俺はどんなジャガイモの残りかすでも喜んでいただきます。とても腹が減っているんだ」
「なら、一緒に来るといい」



 青年は男を自分の畑まで連れてきました。そして、ジャガイモがたくさん植わっている畑を指さして言います。


「もしも誰の力も借りずにジャガイモを掘り出せるなら、いくらでも持って行って構わない」


 さて男は、豊かな土に膝をついて、ぶるぶる震える手を必死に動かしますが、うまくいきません。右足だけじゃなくて、戦争は男の身体のずっと深いところまで蝕んでしまったのです。 ジャガイモひとつだって掘り出せない男に、青年は言いました。



「あなたはひょっとして弟がいるのではないか。弟ならば手助けを許してやろう」



 その時男は泣き始めて言いました。



「たしかに俺には弟がひとりいた。お前と同じすばらしい金色の髪と蒼い瞳をしていたが、とても心やさしく親切で、きっと喜んで手伝ってくれただろう。でも俺は弟を孤独にして しまった。俺がふがいないばかりに、弟をちゃんと愛してやれなかった。だから弟は俺の元から去って行った。もう長らく、弟のことは何も聞いていないんだ」



 青年は泣き出した男のとなりに跪きました。そして、止め処なく流れていく涙を掬ってやります。青年の手はもう、小さな葉っぱのようではありません。



「俺があなたの小さな弟だ。辛い思いはさせない。俺のところにずっといてくれ」


ふたりの兄弟

10/07/01