「すまないが、今日は遅くなる。晩は先に食べておいてくれ。今は晴れているがすぐに雨が降ると予報が出ていたから、庭の水やりはしなくていいからな」
「お、仕事一つ減っちまった。分かったぜー。仕事頑張ってこいよ!」
Danke、行ってくる」



 ルートヴィヒのフォルクスヴァーゲンを見送って、俺は息をつく。とうとう、同居3週間目に突入してしまった。しかし今日の俺はひとつの決心があった。今日こそは、仕事を見つけて やると。  これまで、ルートヴィヒと外出した先でこっそりと求人雑誌を集めていたのだった。一応、いくつか目星はつけている。ルートヴィヒにいつまでも世話になる訳にもいかないし、そろ そろ元の生活に戻らなければ。ここは、居心地が良すぎるのだ。



「…ルートヴィヒ、俺がいないと寂しがるかな」


 初日、宿を提供するという申し出に対する俺の拒絶に、傷ついた顔のルートヴィヒを思い出す。
 …ああ、NeinNein!忘れろ、俺!自分を叱咤して、俺は身支度を整えてルートヴィヒの家を出た。






 ベルリン中央駅に降り立って、俺は街中で求人雑誌を握りしめた。あらかじめ目星をつけておいたカフェは、駅から徒歩数分のアクセスがいい立地だ。ドイツ連邦議会議事堂やら、 首相府やらと、大きな建物がずいと並んでいる中で、こじんまりとしたカフェは見たところ居心地が良さそうだ。ルートヴィヒの自宅とは、違うかもしれないが。…いや、こんな風に 考えていてはいけないか。
 手元の求人雑誌でカフェの位置を確認して歩き始めてから、傘を持ってくるのを忘れたのに気がついた。ルートヴィヒが言っていたのに!今はまだ晴れ間しか見られないが、ドイツの 4月は気まぐれだ。いつ雨が降ってくるかわからない。今のうちに傘を買っておこうか…と首を捻って思案していると、前方から ふらふらとした人影が迫る。



「…っと!」
「あっ、ごめんなさい!」



 間一髪の所で身をかわす。すると、その人影は振り向いて俺に向き直った。



「本当にごめんなさい!俺、余所見しちゃってて…!ドイツって俺の家と違った雰囲気があって面白くってさ!あっちこっちに目が行っちゃうんだ。でも、前を向いて歩かなきゃだよね。 ホントにごめんね!」



 青年はぶんぶん首を振りながら軽やかなドイツ語で捲し立てる。この喋りはイタリア人か、フランス人かだろうか?ラテン系らしい日に焼けた茶髪と、木の実のように丸い焦げ茶の瞳 が愛らしい。愛らしい、などという表現を使ったが、目の前の人間は紛れもなく青年男子だ。20を超えているであろう立派な青年に可愛い、なんていうのはおかしいかもしれないが、 それ以外に表現する言葉がなかなか見つからない。それから、髪の毛にぴょこんと生えたくるんも、思わず引っ張りたくなる可愛さ。



「ああ、気にすんなよ。誰にでもあるって、それぐらい」
「わあ〜お前、優しいね!俺、フェリシアーノって言うんだ。フェリシアーノ・ヴァルガス!お前は?」
「俺?俺は、ギルベルトだぜ。ギルベルト・バイルシュミット」



 ばんばんと俺の肩を叩いてはしゃいでいるフェリシアーノのテンポに合わせようと、俺も早口になる。流れに任せて自分の名前を答えると、漸く自分も落ち着いてきた。フェリシアーノ ・ヴァルガスと名乗った青年は、名前からしてイタリア人ではないかと推測する。観光目的だろうか、その割には荷物が少ないが。ルートヴィヒと同じ20あたりだろうから、ホテルに荷物 を置いて学生旅行でもしているのかもしれない。



「なあ、フェリシアーノちゃん。君はイタリアから来たのか?観光目的か?それなら、ちょっとくらいなら案内してやれるぜ」



 フェリシアーノは、



「おい、フェリシアーノちゃん?」



 フェリシアーノは、応えなかった。俺の肩を繰り返し叩いた手は止まっていて、そのままずるずる落ちて行った。フェリシアーノはゆるく拳を握って、もしかして、と呟いた。 もしかして?



「もしかして、あなた、ギルベルト…?」



 俺は、え?と間抜けな声を出すことしかできなかった。



「確かに、俺はギルベルト、ギルベルト・バイルシュミットだけど…」
「やっぱり、ギルベルトだ!ギルベルトなんだね!!」
「何だよ、フェリシアーノちゃ、」



 フェリシアーノは、今にも泣き出しそうな顔をして、今にも嬉しくて嬉しくて泣き出してしまいそうな顔をして、



「俺だよ、イタリアだよ!」



 信じられないようなことを、言った。



「何、言って…イタリア、って、どういうことだ?」
「何って、俺のこと、覚えてないの?俺はわかるよ、姿は違うけど、あなたはギルベルトだ。ギルベルトだ!ねえこれを見てよ!」



 フェリシアーノ…イタリア、と名乗ったそいつは、自分のシャツのボタンをふたつ外して、胸元に手を突っ込んだ。イタリアが首からお守りのようにぶら下げたそれを見て、俺は目を 疑う。
 イタリアの手が引き出したのは、俺が持っているものと、瓜二つの鉄十字だった。



「それ、俺の鉄十字と同じっ…」
「そうだよ!これ、二度目の大戦のときに、あなたの弟からもらったんだ。あなたが、お祝いにくれたんだって。帝国になったお祝いにくれた、大切なものだから、友達の俺に預けてくれ たんだ!」



 イタリアは、俺の理解できない言葉を羅列する。二度目の大戦、帝国、鉄十字、弟、何一つ、俺は理解できない。何一つ、何一つ。






「そうでしょ、プロイセン!!!!」






 イタリアは叫んだ。
 ベルリンの空が、荒れようとしていた。


ハンマーソングと罪業の塔 Act.5