運は悪い方だと思う。海軍に入った弟は遠方勤務に回されてめったに帰ってこないし、密かに好いてた幼馴染はさっさと貴族に嫁いだ。 死んだ親父の残した教会はボロくて雨漏りは酷いし、礼拝者は休日祝日でさえ数える程。だから俺はいつも一人。でも大好きな親父と遠く に行った可愛い弟と過ごした教会を離れることもできない訳で。お友達は小鳥くらい。あー一人楽しすぎる。静まり返った教会でひとり 高笑いすると、いつもの小鳥が玄関にフンしてた。もうなんか最悪。俺って運悪い。

 分かっちゃいるよ分かっちゃ。でもこれってあんまりじゃねぇか。



 無意識の海から意識が浮上する。シーツの中でもぞもぞと身震いする。眠い、眠すぎるぜ。名残惜しさを感じつつシーツから半分這い 出すと、すぐに枕元の写真立てが目に映る。

「おはよう親父、おはようルツ」

 家族写真のひとりひとりに挨拶を済ませる。木製の写真立ての中では、レンズを向けられた生前の親父と幼い俺、それよりもっと幼い弟 がはにかんでいる。平凡な家族写真、俺の宝物だ。関節をぱきぱき鳴らしつつ未だシーツの中にあった両腕を伸ばし、写真立てを掴んだ。 顔を寄せて、過去の親父と弟にそれぞれキスをする。俺って今凄く間抜けな顔してんだろうなあ。
 写真立てを元通り枕元のスタンドに戻して、それの定位置の隣に位置する時計に目を向ける。
 6時。

「は?なんでこんな早くに起きてんだ、俺様」

 俺は欠伸を噛み殺しつつ呟いていた。怠惰な俺は普段、10時までは確実に熟睡している。何故こんな時間に目を覚ましたのか。一人首を 傾げるが、起き抜けの頭は思考を拒否する。あー別にどうでもいいや、もう一回おやすむぜ。いやー二回寝れた気がして幸運だ。さあ寝るか。
 再びシーツの中に潜り込み、二度寝を図ろうとしたとき、外が騒がしいことに気付いた。何だよ朝っぱらから。渋々体を起こすが、ベッド から降りることも煩わしく、シーツを背中に乗せたままずりずりとベッド近くの窓際まで這い寄る。
 町外れの教会の二階にある俺の部屋からは、町の全景が見渡せる。べたりと両の手のひらを窓に貼り付けて、様子を伺う。遠くから、わ ーわーとざわめきが耳に入る。切れ切れの怒号、悲鳴、そして下卑た歓喜の声。
 俺はやっと異常に気が付く。そして、ざわめきの中から『アルビオン』という言葉を拾い上げて、愕然とした。

「『アルビオン』…だと…?」

 俺は背中に乗っけたシーツを手繰り寄せ、震える指先でその端っこを握り締める。冷や汗が背骨を通り過ぎる。
 『アルビオン』海賊団と言えば、大西洋一帯を荒らし回っている荒くれ者たちだ。海軍に所属する弟を持つため、航海事情に関しては ちょっとした情報通の俺でなくとも知っている。先代ドレークが作り上げた大船団は、代替わりを経て益々増力され、今や三十隻を数える。
 その『アルビオン』がこのケーニヒスベルクにやってくるとは。
 俺は身震いした。今度は眠気ではなく恐怖でだ。どうすればいい、どうすればいい。シーツに包まったまま俺は考える。外に出るか? いや、下手に外に出れば見つかる。見つかればどうなるか…考えたくない。あー考えたくも無い!畜生!俺って運が悪すぎる。ルツ助けて 今すぐ助けて。助けを求めても、弟は北海のフランス近辺で軍事演習中である。あいつらそれを狙ってきたのか。手薄になったバルト海を 突っ切ってきたんだな。ああ畜生もうやだ。どーすりゃいいんだよ。
 シーツの中で頭を抱えたとき、不意に、こつ、と音が聞こえた。窓越しの音なんかではない。足元から聞こえる音だ。嫌な予感がする。 こつ、こつ、と、物音は大きくなる。一定のリズムを刻む。おい、冗談だろ。この音は知っている。親父が、親父が死んでからは弟が、 毎朝俺を起こしに来るときに立てる音だ。つまりは、足音だ。ここに向かってくる足音だ。

 そして、今の教会には親父も弟もいない。つまり。

「海賊…か?」

 自然と口から結論が出て行く。俺は自分が吐いた言葉に震えた、寒気がした、戦慄を走らせた!馬鹿な!そんなことが有り得るか! そりゃ俺は運が悪い、そりゃ俺は不憫だ。だからってこんなことあるもんか。俺は善良な牧師の息子だ。まあこのベッドの下にはちょっと 人には言えないコレクションがあるけど!神様、あなたを裏切ったことはありません、マジで!聖書に頭乗っけて居眠りしたことあるけど! それ見たルツが「お前の信仰心は紙切れか!」って全力で頭ぶってきたけど!
 ぐるぐると回る思考に構うことなく、足音は近づいてくる。こつ、こつ、石造りの廊下に、鉄製の靴の音が響く。
 ふ、と息をついて、俺は先刻のようにベッドに横たわった。どーしようもない。部屋から出たら、まず確実に足音の主に見つかる。家具 の少ない俺の部屋は隠れ場所なんてない。マジでどーしようもない。
 俺は開き直った。もうどうにでもなれ。寝てるフリだけでもしておこう、そうしたら見逃してくれたり…しないよなあ。俺もちょっと くらい体鍛えときゃよかった、弟みたいにムキムキだったら海賊の一人や二人殴り倒せたかもしれない。そもそもこんなオンボロ教会、 お宝なんてありゃしないのに。ああ、俺ってマジ不憫。シーツを被りなおして、祈るように目を閉じる。神様、どうか苦しまずに親父の所 に行かせて下さい。

 ぎい、とドアの開く音がした。鍵なんて付けてもいないドアは俺を欠片も守ったりせず、素直に侵入者を受け入れやがった。親父でも ルツでもない誰かが、俺の部屋を開け入ってくる気配がする。目を閉じたまま俺は無心になる。俺は見えない、なーんにも見えない。精々 エロ本くらいしかない机でも漁って出てってくれ、できたら無闇な殺生はやめろ。要するに、見逃してください。
 しかし足音の主は、部屋を漁る様子はなかった。鉄製の足音は入室して間も無く、少し部屋を歩き回ったかと思うと途絶えてしまった。 海賊野郎は何をやっているんだ、目蓋の下で震える眼球を感じながら思う。すると、ふ、と目蓋の上の辺りに生暖かい空気を感じた。何だ、 何が起こった。理解できない事態に混乱する。間も無く俺の鼓膜が震えた。

「バレバレだぜ、兎ちゃん」

 鼓膜を揺らしたのは酔いが回るくらい甘い男の英語だった。全身が一気に硬直する。だよな、バレるよな、普通気付かない訳ねーよな! 分かってたよ!殺すならさっさと殺してくれ!
 しかし男が行動を起こす気配はなかった。男は俺が目を開けるのを待っているのではないか、何故だかそんな考えが降ってきた。俺は 震える目蓋を開ける。
 眼前に男の顔があった。日に焼けたぱさぱさの金髪、とびきりの宝石のような碧眼。長い睫毛の上に乗った立派な眉毛。ご大層にたっぷり の宝石が散りばめられた三角帽を被っている。侵入者は、触れてしまうのではないかという位俺の顔に自分のそれを寄せていた。

「グッモーニン?」

 ひゃ、と俺は小さく声を上げる。全身が石のように固まって、動けない。俺はこれから殺されるんだろーか、それともアフリカにでも売り 飛ばされるんだろーか。俺の内心なんて知りもしないだろう、男はなおも顔を寄せてきた。おい、何すんだ、ちょっと待て、触れる触れる 触れる!

「ふぁあああああああ!?」

 俺は渾身の力で男を突き飛ばした。こいつは何を考えているんだ!男は、今にも触れそうだった顔と顔をなおも引き寄せて、俺の右の 眼球を舐めたのだ。男のやけに赤い舌に胸がばくばくと不規則な鼓動を刻む。何を、何を考えているんだ!
 そのまま床に尻を突いた男は、へ、と吐息を漏らした。へへッ、連続する音。目を伏せたまま男は笑った。俺はベッドの上で後ずさる。 男はゆうっくりと顔を上げた。細められた緑玉。

「面白ぇ」

 男は立ち上がった。身長は俺と同じ位だが、体格が違う。荒波で鍛えられたであろうそれは、教会育ちの俺とはものが違う。さっきのは マグレだ。抵抗なんてできそうもない。しかし男が吐いた不可思議な言葉に、またもや俺は動けずにいた。抵抗する気も、逃げ出す気も、 不思議と湧き上がってこない。「決めた」男はくい、と俺の顎を持ち上げた。



「今日から、アンタは俺の『マリア』だ!」



 …

 はぁああああ!!!???

 「ふっ、」俺の口から自然と声が漏れる。一瞬俺は、目の前にいるのが恐ろしい『アルビオン』の海賊だということを忘れた。

「ふざけんな!何がマリアだ!!」
「はっ、寂れた教会だが、思いがけないお宝を見つけたもんだ」
「シャイセ!!話聞けよ!!」

 ドイツ語で喚く俺を気にも留めず、海賊は持ち上げた俺の顎を引き寄せた。先程のように、触れるところまで顔が近づけられる。また、 さっきのようなことをするのではないか。俺は反射的に目を閉じた。男はそれが不満だったようで、「目を見せろ」とドスの聞いた声で 言いやがった。俺は素直に従う。

「いいか、ネンネのマリア。お前は俺の手に入れたお宝だ、オンボロ教会から略奪したお宝だ。海賊が奪ったお宝が辿る道は二つだ。一つ は、大人しく船までお持ち帰りされること。そうでなけりゃ」
「そ、そうでなけりゃ?」

 俺は男の言ったままの言葉を返す。男は笑った。憎たらしいくらいにいい笑顔で言い放った。

「徹底的に、ブチ壊す♪」

 まあお前の場合ケツの穴中心に、付け足された不穏すぎる言葉に背中あたりが震える、もっと言えば男の指摘した部分に悪寒が走る。 最悪だ、最悪すぎる!緑の瞳の男は答えを求めた。Yes or No?答えは決まっている。俺は目を伏せた。どーしようもない。緑玉から目を 逸らしたまま、小さくJaと呟いた。途端、男は俺の顎から手を離して抱き寄せる。

「なっ、何すんだ、てめぇ!」
「ははっ、生意気な奴は好みだ。恐がることはない、光栄に思えよ。『アルビオン』のキャプテン・カークランドがお前を大切にしてやる」

 は?

 今この男は、なんと言った?

「…キャプテン・カークランド…?」

 この男が。
 悪名高き『アルビオン』海賊団の、
 キャプテン・カークランドだって?



「………………ふぁあああ!?」



 終わった。
 俺の人生終わった。

 カークランドは俺を抱き上げて、教会を疾走した。あー、俺ってやっぱり不憫すぎるぜ。


I'm a pirate star!

09/07/22