拝啓、親愛なるフリッツ親父。
 お元気ですか。
 俺、ちゃんと親父の言いつけを守って、酒も賭け事も…えーと、控えるように、努めてます。聖書も大切にしてます。ページの端っこメモに使ったこともあるけど、ちゃんと消しときました。ルツに一回ぶん殴られてからだけど。
 そうそう、ルツは最近昇格して、大西洋連邦軍の本部勤務になりました。離れて暮らすことになっちまったけど、月に1度は欠かさず手紙を寄こしてくれます。俺の自慢の弟です。
 俺はというと、



 親父。
 今、何かよくわかんねえけど俺は、海賊やってます。






 一ッ番下っ端の仕事はコレだ、そう言われて手渡されたのは半分塗装の剥げたデッキブラシだった。ケーニヒスベルクにいた俺があの男、キャプテン・カークランドに拉致されてこの海賊船に連れてこられてから早1週間、日がな一日直射日光を浴びながら甲板掃除に勤しむのが俺の仕事だった。最初こそあまりの重労働にブラシを投げ捨てたくなり、船に乗って一日目の夜になってカークランドに直訴したものの、「じゃあこっちのお掃除をしてもらおうか」とおもむろにベルトに手をかけたので、慌てて撤回した。あのセクハラクソ眉毛、いつか海に落としてやる。
 掃除ってのは嫌いじゃねえ。何しろ俺様は掃除の天才だ。あのカソリック教会ならぬ過疎教会には掃除以外やることなかっただけだけど。ただ、海の上ってのがダメだ。じりじり照りつける太陽の下、遮るもの一つない甲板での長時間作業は堪える。こんなことになるって分かってりゃ、ムキムキな弟みたいに鍛えとくんだった、なんて後悔をしたのは何度目か。まあ、突然海賊に拉致られて海賊の一味に加えられるなんて、分かる訳ねーけど。
 でも、こんな困難も神様の与え給うた試練と思えばどうってこたねえ。胸元のロザリオに誓う。俺はあなたに忠実です、この試練を甘んじて受けますなんて、元神父らしく敬虔に祈ってみたりしたわけだが。

「…」

 へぷぴっ、とくしゃみが一つ。

「くしゃみしたら速攻であきたぜ!」

 デッキブラシを頭上に放り投げる。空を舞うブラシ。ああ、こんなに清々しい気分になったのは町の貴族のパンツを残らず処分してやった以来だぜ。あいつ、自分のパンツだけは手ずから小まめに洗濯してたもんなあ。通りかかったやつの屋敷の庭に、幾重ものパンツが能天気に揺れてるもんだから、カッとなって全部捨ててやったんだった。ちなみに反省も後悔もしてないぜ。まあ、その貴族んちに奉公に出てたエリザにぶん殴られて終いだったけど。あの男女、フライパンで殴るこたねーよな。あれがローデリヒとあいつの馴れ初めだって思い出したら泣けてくる。

「あーっ清々した!キャプテン・カークランドか何だか知らねぇが毎日毎日甲板掃除なんてやってられっか!俺様にはもっと相応しい仕事があるっつーの!もうヤメだヤメ、こんな海賊団辞めてやる!!」
「…それやったら、うちの海賊団来るぅ?」

 俺しかいない筈の甲板に響く声。まさか、哀れ滑空したデッキブラシの亡霊か?「なんよ、亡霊って」聞いてんじゃねぇよ!「こっちこっち」ロマンス系の軽やかな、トボけたイントネーションの声の主の方へ視線を投げる。
 そこにいたのは俺と同じくらいの年の青年だった。もっさりした黒い巻き毛と、オリーブの葉と同じ色の瞳。ラテン人らしい逞しく整った顔立ちにへにゃりと緩く笑みを浮かべたそいつが甲板室のドアに背を預けていた。粗末な服装から見れば、俺と同じ下っ端だろう。

「俺、アントーニョいうねん。自分は?」
「…ギルベルト・バイルシュミット」
「じゃあギルちゃんやな」

 慣れ慣れしい奴だ。こういう奴には関わらない方が無難だ。そもそも俺は望んでこの船に乗ったわけでもねーし、他の乗組員と慣れ合うつもりはさらさらない。
 だが、最初に奴が吐いたセリフが気になった。「俺の海賊団に来るか?」なんて、ただの下っ端が言うことだろうか。「お前、何者?」警戒を解かないまま、問いを投げる。

「俺?俺はなー、この海賊団の下っ端の下っ端。ギルちゃんのすぐ前にこの船に乗ってんよ」
「は?じゃあ俺の次に下っ端って事か?」
「そーいうこと。だから俺も甲板掃除が仕事やねんけど」

 にんまり笑うアントーニョ。

「ギルちゃんが加わったのをえーことに、掃除サボって寝とってん。そろそろお礼言わなあかんなー思て」
「お前かぁああああああああああああ!!??」
 いやーギルちゃんってばあんまり一生懸命掃除してはるもんやから口出せんで、なんて言って許してもらえるとでも思ってんのか、このサボリ魔!俺様がこの一週間どんだけ苦労して甲板掃除に明け暮れたか分かってんのか!3時間かけてピカピカにしたマストに2秒後ウミネコがフンしやがったあの絶望がお前に分かるかぁあ!!聞いてんのかこいつ、何故懐からトマトを取り出す、あまつさえキュッキュと服で拭ってかぶりつく!?

「あートマトうまいわー」
「………殴らないでやるから正直に話せ。さっきお前の海賊団だか何だか言ってたのはどういうこった?」
「ああそれ」

 アントーニョはあっという間にトマトを食べ終わると、ごしごし口を拭った。



「俺、その内この船逃げよ思てるから。そん時ギルちゃんも連れてったろかなって」



 おい。
 おいおいおい、こいつの言ってることはマジか?あのカークランドから本気で逃げようと思ってるのか?こいつは何者なのか、俺には掴みきれない。最初見た時は弛み、緩んでいた目元がきゅっと引き締まって、悪人らしくアントーニョは笑う。

「おー、満更でもなさそうやん」
「…本当に、カークランドから逃げるつもりか?」
「ホンマホンマ。ギルちゃんやって、いつまでもこんな船におりたくないやろー?俺について来たら悪いようにはせーへんで、故郷に帰したってもええ。だから…おわっ」

 よろめくアントーニョ。突然、背後のドアががちゃりと開いたのだ。

「だから、『アルマダ』海賊団再興に協力しなって?アントワーヌ」

 甲板室から現れたのは、金髪の男。無精髭さえなければ王族貴族にでも間違えられそうな容姿の男だった。「またそんな話持ちかけてるの?またアーサーにボッコボコにされるよ」「なんや、フランか。スペイン語読みせんかい。そんときはあいつの頭蓋骨も陥没しとるわ」体勢を崩したまま甲板に座りこんだアントーニョと、フランと呼ばれた男が軽口を叩き合う。だが、俺の関心は話の内容よりも最初に金髪の方が口にした言葉にあった。茫然としつつ、俺の存在なんぞ空気か何かのように扱って喋くる二人に割って入る。

「そうそうアント、お前厨房からトマト一個盗んだでしょ。そういうの、『アルビオン』海賊団のコック長である俺の責任になるんだから止めてよね」
「おい、さっき『アルマダ』海賊団って言ったよな?それって」
「コック長言うたって、フランシスしかコックおれへんやん。あとトマト盗ったん一個ちゃうで、二個やで」
「俺の話を聞けぇえええええええええ!!」

 『アルマダ』海賊団。
 地中海を根城として、アメリカ大陸にまで支配権を広げているという一大海賊団だ。先代ドン・ぺードロが創設した当時は10隻に満たない弱小組織だったが、若輩の息子が跡を継いでからは『アルビオン』海賊団をもしのぐ大船団を結成し、その艦隊は無敵と恐れられた。最近、その無敵艦隊が破られたと聞いてからはめっきり話を聞かなくなったが。
 その船長の名は、

「アントーニョ・フェルナンデス・カリエド…?」
「あっ俺の名前知っとる?俺有名になってもたなー困るわーサインとか求められたらどーしよー」
「ないない。あ、ギルちゃんだっけ?俺はフランシス・ボヌフォワね。この海賊団のコック長で、副船長。よろぴく」
「よろぴくじゃねーぞ!副船長って、この船で二番目に偉いんじゃねーか!!この間抜けの謀反発言聞いて何の反応もナシか!!」
「アントーニョ、うちが『アルマダ』沈めてからはそればっかだよ。それにアントと俺は『アルマダ』との抗争前から友達だからさ」
「そーいう問題じゃねぇし!!」
「あ、ギルちゃんトマト食べる?」
「食わねぇ!」
「ゴラァアアア馬鹿トリオ!!何サボってやがる!お前らまとめて甲板掃除しとけぇえええええ!!!!」
「あ、アーサーだ。逃げよっか」
「そやね」
「ああもうルツ助けてぇえええええ!!!!」






「これはどういう事だい、バイルシュミット少佐?」

 指令室の机に、ルートヴィヒ・バイルシュミットが提出した報告書が叩きつけられた。ルートヴィヒは直立不動のまま「サー、面目ありません」と答える。

「北海での演習、バルト海に『アルビオン』海賊団の船団を確認。演習を中断し追跡したが、略奪されたケーニヒスベルクに海賊の姿はなく、まんまと逃げられた。まったく、クソ海賊どもにしてやられたものだね!」

 ハハッ、嘲笑した上官にもルートヴィヒは眉ひとつ動かさなかった。その通りです、ジョーンズ准将。と、肯定することしかしない。
 近くへ。アルフレッド・ジョーンズの手招きに、ルートヴィヒは従って歩み出た。がたりとアルフレッドの椅子が鳴って、立ち上がる。ルートヴィヒの耳に唇を寄せて、秘め事のように囁いた。

「いいかい、ルートヴィヒ。アイツ自慢の海賊団を完膚なきまでに粉砕しておいで。そして、アイツだけはちゃんと首根っこを掴んで、俺のところに連れてくるんだ。いいね?」
「…イエス、サー・ジョーンズ」
「いい子だ」

 アルフレッドはルートヴィヒの顎をくいと持ち上げて、口付けする。ふたりの唇はまばたき一つ分の邂逅ののち、離れていく。退室を促されて、「失礼します、准将」と背を向けたルートヴィヒに、アルフレッドは「そういえば」と思いだしたように呟く。

「襲われたケーニヒスベルクって、君の故郷なんだっけ?君のお兄さん、行方不明だって聞いたけど」
「…ええ」
「そんな君に朗報だよ。生存者から君のお兄さんらしき人物が、『アルビオン』の海賊に連れ去られたって目撃証言が出てる」
「!」

 ドアノブに手をかけたルートヴィヒの瞳が揺れた。動揺を隠すようにして、ルートヴィヒはそのままドアノブを捻り、指令室を出る。アルフレッドは目敏くそれに気付いて、くすりと笑みを漏らした。



 ルートヴィヒは、北大西洋連邦海軍本部の廊下を行きよりずっと速い速度で歩いていた。これから調べることはいくらでもある。『アルビオン』海賊団のデータ、船団の規模、最近の交戦記録、主な航路、戦略。次はどこに『アルビオン』が現れるか。



「兄さん。必ず、取り戻す」



 キャプテン・アーサー・カークランドを断頭台に送る為に、北大西洋連邦海軍は動き始めたのだった。


Kick the Grand Line!

10/09/06