「…重ぇ」

 

元プロイセンで元東ドイツ、ギルベルト・マリア・バイルシュミット…要するに僕の彼女は一言そう投げた。
 うん?今マリアは何て言ったのかな?僕は首を傾げる。僕とマリアは付き合ってるんだよね。それで、僕んちのベッドで気持ちいいことしてるんだよね。ていうか真っ最中だよね?うんそうに決まってる、聞き間違いだよ。でも何でマリアはこんなに不機嫌そうなのかな?僕下手じゃないと思うんだけどな?
 彼女が瞼を開くと、ワインを溶かし込んだような赤い瞳があらわれる。うん、何で怒ってるのかな?何で拳に力を入れてるのかな?僕は考える前に歯を食いしばる。舌を噛むのは御免だ。

 

 

 

「重ぇっつってんだろうがこの、熊野郎がぁああああッ!!!!」

 

 

 

マウントポジションを取られてるのにこの打撃力だ。僕は盛大にベッドから転がり落ちた。僕の彼女はちょっと暴力的です。僕はちょっと泣きそうです。

 

僕はその日結構気合いが入っていた。マリアがモスクワの僕の自宅にお泊りするのは三週間ぶりで、僕は連日アメリカくんとの会議会議会議会議会議漬けで、僕だって、ほら、男の子だから、溜まるものは溜まるんです。今日は我慢できないよって日があるんです。率直に言うとすっごくマリアとベッドの上で仲良くしたかったんです。男の子だから仕方ない。
 僕が最初にシャワーを浴びて、次がマリア。僕はとにかく前述したようなことで頭がいっぱいだった。

浴室のドア一枚の奥に大好きな女の子がいる。そう考えるとじっとしていられなかった。

チェブラーシカのぬいぐるみをぎゅうぎゅうしてみたり、マリアが手土産に持ってきたベルリーナってお菓子をつまんでみたりしたけど全然無駄で。

いっそドアをそっと開けてみようか、白い肩に手をかけて驚かせてやろうか…なんて考えたけどやめておいた。そのまま浴室で、なんて事になったら、あとできっと怒られる。弟くんに言いつけられるかもしれない。言いつけるつもりがなくとも弟くんにそのことを愚痴ってしまったら、後で怖い。前のベルリンの公衆トイレだって…ああやめやめ、思い出すと震えがくるよ。
 ともかく僕はいい子にして待ってた訳です。ちゃんと了承も取って、同意の上で、部屋も暗くして、バスローブだってゆっくり脱がせたのに、これってあんまりだ。

 

「そう思うよねイタリアくん」
「…ヴぇ、ヴェー、そうだね…そうかもね…」

 

「でしょう!?」とぐずぐずの鼻声で後押しすると、イタリアくんは「ロ、ロシア、今エスプレッソ淹れてくるね」と台所に引っ込んでしまった。やっぱり突然押し掛けたのは悪かったかなぁ。最近上司同士が仲いいから、仲良くできたらいいなと思ってるんだけど。席について待っていると、小声でこんなことが聞こえてくる。

 

「何でロシアなんか連れて帰ってきたんだ、この馬鹿弟!ちぎー!」
「ヴェー兄ちゃん、だってロシアが会談終わった途端に『うえーんマリアにきらわれたー!!』って泣き出すから…!放っとけなかったんだよー!」
「バカヤロー!そんなの無視しろ!あいつこえーんだよ!」
「俺だって怖いよー!」

 

と、そう聞こえた気がしたけどコルコル、もしかしたらコルコルあの二人僕のこと邪魔だと思ってるのかなぁコルコルコルコル。そんなことコルコルコルないよねコルコルコルコル。まあもしそうなら仲良くなれない子はいらないよねコルコルコルコルコルコルコルコルコル

 

「ぎゃー!ごめん!ごめんロシアー!俺特製のエスプレッソだよ!俺たち友達だもんね!」
「なーんだそっかー」
「馬鹿弟が!ロシア様だろうがぁあチクショー!!」

 

 

 


「とにかくロシアは、ドイツの姉ちゃんに体重が重いって言われちゃったんだよね?」
「うん…僕傷ついちゃったよ」


 イタリアくんの分のエスプレッソも淹れてきて、ようやく落ち着いて話を再開する。お兄さんのロマーノくんはまだ台所の向こうでぶるぶるしてるけど。ラトビアみたいでかわいいな。今度触りたいな。そんなことを思っていると一際大きくびくっと肩が震えているのが見えた。うん、敏感だね。
 本題だけど、マリアの言ったことには一理ある。

僕は結構大柄で、マリアは小柄だ。体格差があるから、申し訳ないとは思う。かと言って体格はそう簡単には変えられないし…脂肪は、ないと、思うんだけどなあ。骨太なだけだよ。脂肪なんてロシアにないよ。アメリカくんとの連日の会議で毎食マクドナルドだったけど。あっもしかしてそれが原因?でも、すぐに体重が増えるってことは多分ないだろう。前々から不満を溜めこんでたって可能性もある。

 

「なにかいい方法ないかなぁ…」
「…えーっと」
「うん?」
「…上に乗ってもらったらどうかな?」
「やっぱりそうかぁー」
「やっぱりそうかぁじゃねえよチクショー!!!!」

 

台所の奥からトマトが二つ飛んでくる。イタリアくんが見事に二つともキャッチ。きっと慣れてるんだろうなぁ。

 

「ヴェー兄ちゃん酷いよ!」
「うるせー!それ、何の解決にもなってねえだろうが!!」
「じゃあ兄ちゃんだって何か考えてよ!」

「知るか!スペインかフランスにでも聞けこのやろーっ!」

 

あっ、それはいい考えかもしれない。こんな話題、フランスくんの十八番じゃないか。女の子にそんな言い方はちょっと、とも思うけどフランスくんだからしょうがないよね。
 「兄ちゃん!」「おう」イタリアくんは軽くトマトを宙に放り、ロマーノくんが受け止める。「仕方ねーからパスタでも作ってやる。スパゲッティ・アッラ・プッタネスカでいいだろ」「ヴェッ兄ちゃんのパスタおいしいよー!」イタリアくんは懐から携帯電話を取り出して、プッシュし始める。「そうだよ。フランシーヌ姉ちゃんに聞けばいいんだよ!」イタリアくんも僕と同意見らしい。
数回のコール音。イタリアくんが耳に当てた携帯電話の画面に、通話中の画面が現れる。

 

「ボンジョルノー、フランシーヌ姉ちゃん!」
『ああイタリア、ボンジュール。何か御用?』
「女の子に重いって言われたら、男の子はどうしたらいいの?」
『はぁ?どんな状況か知らないけど…うーんウチの彼氏軽いしねぇ。ホラ、「うわッ」起き上がるのも簡単』

 

うん?
今何か聞こえたような気がする。イタリアくんと顔を見合わせて、嫌な予感。

 

「…フランシーヌ姉ちゃん、今何してるの…?」
『何ってナニ「こらぁシーヌてめえ誰と話して!!!!!」』

 

プツン、ツーツーツーツー。

 

「…今、イギリスくんの声が…」
「聞いてない聞いてない俺は何も聞いてないよっ」
「いや今イギリスくんの声が」
「いやいやいやフランシーヌ姉ちゃん途中で電話してたのかなとかああもうその問題はロシアとプロイセンの間で解決するべきだよ、きっとそうだよ!!兄ちゃんパスタまだー!?」

「堅茹ですぎるだろ、ちぎーっ!」

 

 

 

「…はぁ」

 

溜め息が思わず出てしまう。ロマーノくんのパスタは美味しかったし、ふたりが連れ出してくれたローマは太陽がぽかぽか暖かくてジェラートが溶けそうなくらいだったけど気分は晴れない。だって根本的な問題は何も解決してないのだ。

 

結局昨夜、あのままマリアは不貞寝してしまって話せてないままだ。僕は仕事があったから早めにモスクワを出たし。彼女もきっともう、ベルリンに帰っちゃっているだろう。

空港行きのタクシーの中で溜め息をもう一つ。マリアは僕のこと嫌いになっちゃっただろうか。重いから。上になってもらうっていうのは冗談として、せめてキスくらいは許してくれるかな、許してほしいな。

と、タクシーの中でワーグナーのワルキューレが鳴り響く。僕は自分でもびっくりするくらい急いで鞄から携帯電話を取り出す。マリアがふざけて設定した着信音だ。運転手が不審そうな眼でこっちを見たので、「ごめんなさい」とたどたどしいイタリア語で謝る。

 

「アロー、…マリア?」
『ハロ』
「………」
『んだよ、喋れ』
「怒ってないの?」
『怒ってるさ。カノジョに声もかけずにイタリア周遊してるカレシにな』

 

 拍子抜け、してしまった。だって彼女は怒っていると言うけど、声はそうじゃない。

 

「だ、だって、僕、重いって、マリアに嫌な思いさせて」
『だーっ、まだそんなこと言ってんのか!』
「そんなことって!」
『悪かった、俺が悪かったっての!イキナリ重い、は酷かったかもな』
「で、でも」
『でも、じゃねえ。それよりもだ、分かってんだろうなあロシア。俺様抜きにイタリアで仕事帰りに一日楽しんだってぇ?埋め合わせしねーと許さねーぞ!』
「う…ん、うん…!」
『だったらさっさと帰ってこい、モスクワさみーんだよ!』

 

 え、と一呼吸。彼女はまだモスクワで待ってくれているらしい。

 

『帰ってきたら…仕切り直し、な。別に俺様、お前とあーいうことすんの、嫌いじゃねーしな!』


 ただ、ちょっとだけダイエットはしろよ。そう付け足してマリアは通話を切った。僕といえば胸がつっかえて言葉が出ない。今すぐマリアを抱きしめたい。ハグしてキスしたい。そんな気持ちが溢れて溜まって止まらない。

 ねえマリア。今から君のところへ飛んでいくから、ぽこぽこ溢れかえる僕のハートを全部受け止めて。だいすきの気持ちを全部全部あげるから。

 今度マリアと日本くんちに旅行させてもらおうかな、アメリカくんが日本食でダイエットに成功したという話を思い出して、そんな算段をつける僕なのでした。

ポーラ・ベアーの憂鬱

10/03/15