「聞いているのか、ヴェネチアーノ!」
 ドイツの鋭い声は既にイタリアにも、イタリアよりドイツとの付き合いが浅い日本にも慣れたものだったが、彼らを驚かせたのはドイツの 発言だった。ドイツは訓練中イタリアを「イタリア」と呼ぶ。例外はプライベート、人と変わらぬ営みの中での「フェリシアーノ・ヴァルガス」 という名だが、ヴェネチアーノ、兄であるロマーノ…南イタリアに対する北イタリアを示す名前は聞き慣れたものではない。

「…ヴェ、ドイツ、どうしたの?変に緊張しちゃうよ!」

 ドイツは彼らしくなくあ、と間抜けな声を出して右手を口の前にやった。彼の様子からすると、今の発言は彼自身にとっても予想外のもの だったらしい。

「…いや、済まない」
「ドイツさん、疲れているんじゃないですか?其方も最近忙しいようですし」
「ヴェ、そうだよドイツ!訓練終わりにしてジェラート食べに行こうよ。そしたら疲れなんて吹っ飛んじゃうよ!」

 大抵イタリアがジェラートだのサッカーだの言い出すと「さぼるんじゃない!」などと叱咤するドイツだが、二人の気遣いも感じたのだろ う。素直に「…そうだな」と言ってみせる。ドイツは普段は窺い知れない幼い表情を見せた(そういえば、ドイツは二人に比べて随分と 年下だった)。「私もイタリアくんの家の氷菓子が大好きなんですよ」と日本が言うのを頬を染めつつ、しっかりと頷くドイツ。

「おーいっ、ルッツーフェリちゃーん本田ぁ!」

 その時、三人の耳に聞き慣れた声が響いた。一番に反応したのは一番最初に呼ばれたドイツ―――ルートヴィヒでなく、フェリシアーノ だった。

「あっ、ギルベルトっ!」

 フェリシアーノはリードを解かれたすばしっこい小型犬のように駆け出す。ケセセセと些か品のない笑い声を立てて大股で歩いてくるのは ルートヴィヒの兄プロイセン、人の名はフェリシアーノが呼んだ通りギルベルト・バイルシュミット。フェリシアーノ訓練が終わったから といってはしゃぐんじゃない、と声を上げつつ少し複雑な表情を見せたのは、兄を取られた気になったからかもしれない、本田は微笑ましく なってくすりと笑う。同じ兄を持つものにとって共感できないこともない、今は遠く離れてしまったが―――否、突き放してしまったの だけれど。

 ギルベルトとフェリシアーノはどちらからといわず腕を広げ、抱き合った。ギルベルトからドイツ式の頬への数回のキス、フェリシアーノ からイタリア式の強いハグとドイツ式に比べて回数の多いキス。フェリシアーノがやっていると何時まで経っても終わらないので、 ギルベルトから先に挨拶するようにしたのは、ルートヴィヒと会うついでにギルベルトと、でなくなってから生まれた二人の決め事だった。 ギルベルトとフェリシアーノが友人以上の関係として付き合い始めたのは2,3ヶ月前のことで、元々親愛を体で示すフェリシアーノは まだしもギルベルトは最早羞恥だとか兄の威厳だとかいうものを捨て置いてこの様子である。イタリアくん菌は強烈ですね、というのは かつてイタリア旅行の際くるんとした山菜のようなもの(日本が言うにはだが)が生えるまで影響された本田の言だ。

「よーよールッツ、もう訓練は終わりかぁ?」
「ああ。今から、イタリアの家に行こうかと」
「はぁ?ずっりー!俺も連れてけよ!」
「ヴェッ、勿論だよーギルベルト、だってギルベルトは俺の恋人だもん」
「フェリちゃん…!」

 数十年前我が国が参考にする程の憲法を持った規律ある国プロイセン王国はこんなデレだったでしょうか。いつまで続くかという挨拶と いう名の愛の確認を終えて、フェリシアーノを腕に絡ませたギルベルトがキュンと胸を弾ませる。まあネタになりますが、と内心本田は 記憶というスケブにスケッチを始める。が、傍らのルートヴィヒの思案するような表情に気付いた。

「ルートヴィヒさん?」

 声をかけると、いや、とまた曖昧な答え。「ああ、こいつ最近ずっとこうなんだよ」とギルベルトが言う。

「ヴェー、そうなの?」
「そうなんだよ〜フェリちゃん!訓練の後とかフェリちゃんが俺んち来た後とか特にな」
「恋煩いじゃないですか?」

 ふふ、とふざけて言った本田に大げさなポーズでないない、と不遜な兄は否定した。

「むきむきにそんなのあるわけねーって。まああったけど…前フェリちゃんに…いやいやいや過去の話だけどよ。ま、こいつが恋なんか したら本気で暴走するに決まって」

グワシッ!

 書き込めるものならそんな効果音を書き込みたい、本田はルートヴィヒがギルベルトの肩を掴んだ音を表現するのにそう考えた。兄の言う 所むきむきの、筋骨隆々とした推定20歳の若者の力は想像を絶するものである。「いで、いでででででででルッツ痛いっつうの!!!!」 涙目になって本気で痛がっているギルベルト、「ヴェールートールートぉおどうしたの!?」戸惑うフェリシアーノを尻目に、当のルート ヴィヒは般若のような顔をして俯いている。どこがルートヴィヒの琴線に触れたのかその場の全員が考える。が、彼は猛烈に怒っている ように見えるものの、青年の表情は憤怒より苦悶と見えなくもない。ぎぎぎと音を立てて頭を持ち上げながら、ルートヴィヒは「聞いて ほしいことがある」と冥土から響くような声で呟いた。どうやら怒鳴るつもりでないらしい、付き合いの長いギルベルトはそう理解して 「とりあえず手ぇ離せ!」と悲鳴のように叫ぶ。ゆるゆると指を緩めるルートヴィヒだが、ギルベルトの肩に食い込んだ軍服の皺がその 強烈さを物語る。ドイツ人の兄弟が落ち着くにつれて、フェリシアーノと本田も冷静さを取り戻したが、次の発言に枢軸国の国土が引っ くり返るような衝撃が走った。



「俺はロマーノに恋をしているようだ」



 三者は三様に、ルートヴィヒの発言を吟味し反芻した。そして、引っくり返った。


曲がり角の青少年

09/04/13