「アクゼルストが選んだのが、よりによって『捨石の座』マトリカリア、お前とはな」
『奥義会』を構成する七家のひとつ、デラルテ家のご意見番であるクシナダは憎々しげに吐き捨てた。「クシナダ殿、控えられい」とギィ家のエウロイカ翁が諌めるが、その厳格な表情が物語る真意はクシナダと重なる。
アクゼルスト・テオラとマトリカリア・クランを召喚しての『奥義会』の議場は剣呑な空気に包まれていた。『奥義会』の総括を担うナイマッハ家の長子アクゼルストの帰還は彼らにとって喜ばしいものではあった。しかし、彼が孕ませた女性が何者であるか、その場にいる全員が理解していた。デラルテも、ギィも、そして居並ぶ他の『奥義会』のメンバーも、掟破りの『捨石の座』をそう簡単に許してやるつもりはなかった。
「『捨石の座』マトリカリア・クラン。貴女の使命を仰いなさい」
『奥義会』副席、タクティアート家のジュリエッタが命じる。マトリカリアはその美しい横顔に何の感情を乗せることもなく命令に従う。
「御意。ガルディオスのために命を燃やす屑星たること、ガルディオスを満たす女であることであります」
盟主ジグムントは、従姉が平然と口にした言葉にぐっと唇を噛み締めた。ホドの悪習として彼が疎むものの最たるものが、これだった。
マトリカリアが後者の意味で義務を果たしたことは一度もない。ジグムントも、果たさせようと思ったことすらなかった。マトリカリアは屑星などではない。人間だ。私の、姉だ。姉なんだ。そう幾度叫んだところで、ここでは響きやしないのだ。
「ならば、身の程を弁えて…!」と畳みかけようとしたクシナダを制したのは『奥義会』の総括者、ペールギュントだった。
「わしは、ふたりを支持する」
ペールギュントは静かにそう言った。はっとしたアクゼルストが「父さん!」と声を上げて、父ペールギュントを見つめる。ペールギュントは『奥義会』のメンバーから目を離さずにハァ、と嘆息して続けた。
「この甲斐性無しの愚息もマトリカリア様も、言い出したら聞きゃあせんバカものだ。認めでもせねば、明日にでも駆け落ちしかねんからな」
「そうだろう?」とペールギュントは、息子と息子が選んだ花嫁に視線をやった。「…ありがとう、父さん…!」と低い声を震わせたアクゼルストの隣で、マトリカリアが瞳を揺らす。母親から受け継いだフェンデの青が、マトリカリアの動揺を物語る。
「当主も、息子に譲る。ナイマッハ家の役目であるマルクト軍での奉仕に本腰を入れることにしよう。よいな、皆の者」
「…私も、ペールギュントと同じ意見だ」
盟主ジグムントがそう告げると、エウロイカが「ジグムント様!」と声を上げた。しかしジグムントは、蒼氷の瞳を細めてなおも何ごとか言いたげな老騎士を睥睨した。
「『奥義会』の盟主であり、ホドの王たるこのジグムント・バザン・ガルディオスが認めることに、異議がおありか?」
エウロイカは、二の句を継げずに黙り込む。『奥義会』メンバーの第一席、第二席がふたりの支持に回ったことで、他のメンバーも次々に賛同の意を示した。「いいんじゃない?面白そうだしさ」「アタシも支持。やっぱペールの息子だねェ」とペールギュントの盟友であるクラリノ家当主バッドマン、トパット家のシャサーリ。「僕は異議ナシ」と『奥義会』メンバーで最も年若いビオ家当主アマレッティ。彼に倣い、ビオ家と共にナイマッハ家の軍での活動の補佐にあたるハルピア家のベルリオーズが頷く。デラルテ家本来の当主コメディア・デラルテは祖母であるクシナダの背後に佇み、微動だにしなかった。
「答えは出たようですわね」
『奥義会』副席、ジュリエッタ・タクティアートは議場を静まり返らせた。彼女の口から、『奥義会』の決定が語られる。
「我ら『奥義会』は、『捨石の座』からマトリカリア・クラン・ガルディオスを開放し、ナイマッハ家の新当主アクゼルスト・テオラとの婚姻を認める。異議はありませんわね?」
『奥義会』の面々は、一斉に、是、と口にした。苦々しげにそれを口にしたものも、そうでないものもいたが、こうして決断は下された。それを聞いたマトリカリアは、ジュリエッタが告げた言葉を噛み締めて、深々と頭を下げた。アクゼルストも慌てて、それに倣う。
「…ありがとう、ございます…!」
万感の思いをもって、マトリカリアは感謝を告げた。その声は、震えていた。ジグムントでさえ、初めて聞くマトリカリアの嗚咽であった。かくして、『奥義会』会議は閉会と相成った。
ND1986 シグムントとアルバートに連なる乙女、婚姻を結ぶ
名を母なる鼓動と称す
乙女のための祝宴は三日三晩続き
栄光の大地は花びらで満ちるだろう
「お姉ちゃん、結婚おめでとう!ねえ、私お姉ちゃんのお腹の子供の名前考えたのよ。男の子だったらイオン、女の子だったらフロン、っていうのはどう?」
「ありがとう、フィフュス。でもおあいにくさまね、名前はもう決めてあるの。その名前は、自分の子供のために大切に取っておきなさいな」
「なあんだ、決めてるの?何なに、教えてよ!」
イフリートデーカン・ルナ・16の日、アクゼルスト・テオラとマトリカリア・クランの婚礼は華々しく行われた。会場となったナイマッハ邸には、アクゼルストのダアト時代の知人はもちろん、外交官としてマルクト・キムラスカ両国に広く交友関係をもつマトリカリアによって名だたる賓客たちが集った。その顔触れたるや、1年前のガルディオス家の婚礼もかくやという勢いである。それは、彼女の顔の広さだけではなくて、人を惹きつける彼女の人間的な魅力をも示していた。
純白のウェディングドレスを身に纏うマトリカリアは、さながら五月の女王のような輝かしい美しさであった。彼女を射止めたアクゼルストは、ホド一番の幸運の星だ、とあちらこちらから冷やかされた。「ったくアルの奴、満更でもない顔してんだもんなぁ…なあ、ジグムント?」と傍らの主に同意を求めるヴェルフェディリオは、ぼたぼたと大粒の涙を零すジグムントに気付いて、怒鳴りつける。「おまっ、泣くなっ!俺だってちょっと泣きたいっ!!」「ね、ねえさ、ねえさん、キレイだよお、うわあああああん」大声を上げて泣くジグムントのぐしゃぐしゃになった顔に、すかさずユージェニーがハンカチを当てる。ジグムントの気持ちは分からないでもない。だってマトリカリアは奇跡みたいに綺麗だった。「ちくしょー、この幸せ者ぉ!!」悔しがってない、悔しがってなんかないからセクエンツィア、憐れみの目でこっちを見ないでくれ。
ホドに花びらが舞う季節、ナイマッハ邸に集った一同は、飲み、歌い、踊り、語り合い、笑い合った。祝いの風はナイマッハの屋敷に留まりはせず、ホド中がナイマッハ家の婚礼に湧き立った。そのすべてが、幸せなふたりに捧げられた。
祝宴の最中、遥々ケセドニアからやってきた実妹フィフュスに尋ねられ、マトリカリアはようやく丸みを帯びてきた腹部に手を当てた。ここに、命が宿っている。それは、生きようとする意志そのものだ。たとえその上にどんな預言が待っていようと、生きようと、精一杯生きようと、命を燃やすのだ。
「ふふっ、それはね、」
『灯』よ、マトリカリアは言った。そして、彼女は花のように笑った。
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