「…で、いつものサービス満点接待なワケね」



 ヴェルフェディリオはドン・ぺリニフォンの79年物が注がれたワイングラスを揺らして呟いた。くいっと杯を傾けて一気に飲み干せば、女たちがきゃーっと黄色い声を上げた。アホみたいに羽毛をつめた最高級のソファに座る自分の両脇から、若くてキレイなねーちゃんたちが抱きついてくる。それをヴェルフェディリオは、興味なさげな顔で黙って受けている。
 そんなヴェルフェディリオよりも、もっと固い表情の男が正面に座っていた。マルクト帝国軍参謀長、ブーゲンビル・アルフェレス。フェレス家の流れをくむ筋金入りの軍人である。フェレスの人間であることを示すピンク色の頭を茶化す隙もないほどの鉄面備は、ハーレムじみたこの場所にいるにはひどく違和感があった。女たちが艶やかな手つきでワインを注いでも、まるで揺らぎない顔をしてグラスを口に運ぶのだった。何時までもその面白みのない男と顔を突き合わせる気持にもならず、「今回の用件は?」と促す。ヴェルフェディリオより一回り年上の男は居住いを正して話を切り出した。

「ロニール山脈。オリウェイルの大量発生が、ケテルブルク駐屯軍では対応できない程の問題となっている。かといって下手に帝都の軍を投入した所で、積雪地帯での戦闘に慣れない者たちでは兵力の余計な消耗は目に見えている」
「で、俺の出番ってワケね」
「左様」

 ブーゲンビル・アルフェレス中将は、ヴェルフェディリオ・ラファ・フェンデに頭を垂れた。



「『神の右手(レオン)』たる、貴公の助力を賜りたい」



 ガルディオス家、ナイマッハ家と異なり、フェンデ家はマルクト軍の傘下にはない。フェンデ家は名目上ガルディオス家の私兵である蒼天騎士団の一員なのである。マルクト帝国軍はガルディオスに命令はできても、軍属ではないフェンデにはできない。しかし、フェンデはガルディオスの指揮下にあるので、マルクト軍がフェンデ家の人間に協力を要請する際はガルディオス家を通すのが筋であった。だが、現当主ジグムントはヴェルフェディリオに頭ごなしにマルクト軍からの命令を突きつけるのを嫌った。よってヴェエルフェディリオ自らが帝都に出向いて、自分の判断で協力するかどうか決めるという今のスタイルが出来上がったのである。これも、『神の右手(レオン)』と呼ばれるほどの最高位譜術士たるヴェルフェディリオの腕が買われてのことである。
 ヴェルフェディリオはさしたる興味もなく、ピンク色の頭が自分に向かって下げられているのを見ていた。女たちが声を潜めている。右から左から抱きついて来てる女の胸が当たってる。そして、ヴェルフェディリオは「いーぜぇ」と平坦に言った。中将は平伏して感謝を述べた。

「有り難い。貴公が参戦してくれれば一個師団ものだ」
「へーへーどういたしまして。しっかし、ロニール山脈かあ。あそこ年中寒いからヤなんだよねえ」
「貴公は譜術で外からの温度を遮断できたはずだが」
「あー、あれね。体内音素を増幅して外界からの音素振動を相殺してるだけ。副作用で音聞こえなくなるぜ。疲れるんだよ、あれやんの」

 そんな芸当をしながら戦闘が行えるのは貴公くらいだ。中将はくっくと低く笑った。この男は意外とジョークが通じるからまだ面白みがある。中将が杯が掲げるのにヴェルフェディリオも倣った。カチン、と気持ちのいい音が鳴って、交渉が成立したことを知らせる。
 そこからは宴の始まりである。この接待の形式が定まったのも、マルクト帝国軍がヴェルフェディリオと直接交渉するようになってからのことである。ヴェルフェディリオの女好きはマルクトの知る所だったらしく、『神の右手(レオン)』の一振りを求めて最高級の女たちがこの一室に集められる。地元のホドで遊ぶのは青年時代にやめたのだが。というのも、地元では島民に欠かさず気を配るジグムントにすぐバレるからである。それでなくても狭い島だ。二股なんかしたらすぐにバレる。それを考えれば、このような接待はヴェルフェディリオにとって垂涎ものである。タダで最高級の女たちと引きあわせてもらえるのだ。しかもマルクト軍の黙した公認で。
 女が踊る。宝飾と飽食に彩られた空間で。金色の皿に盛られた色とりどりのフルーツ。ヴェルフェディリオの手の中で、最高級のドン・ぺリニフォンが、輝く肌を露わにした女が、踊る、踊る、踊る。扇情的な香が焚かれ、女も、男も、酔っていく。溺れてしまえと誰かが言う。それもいいなと誰かが言う。

 なのに、
 何故だか、詰まらなかった。



「お好みの娘は居りましたかな」



 宴もたけなわの頃、いつものように中将がそう言ったのをぼんやり聞いていた。ヴェルフェディリオは、んあ、と気のない返事をして、適当に女のひとりを指さした。それ以外の女が退室し、ひとり残った中将が「では、ごゆるりと」と一礼する。
 残った女が手招きをするままに、別室に移った。薄暗いながらも豪奢の限りが尽くされた部屋。何もかもが最高級。ベッドはホドの自分ちとは比べるのがもったいないようなふかふかなの。そこに女が腰かけた。ヴェルフェディリオは、女がすぐに脱がせにかかると思っていたから少し驚いた。

「アナタ、今日はする気ないんでしょう?」

 あ、バレてた。女って怖ぇ。

「…ああ、悪ぃな。あんたを選んだのも、一番がっついてなさそうだったからだよ」

 なぁにそれ。女がころころ笑った。かちん、と譜業灯をつけると、部屋に第六音素が満ちた。すると、ベッドに腰かけた女の姿がはっきり見えた。ブロンドのパーマネントに、それから、菫色の瞳。もしかしたら、目の色でも選んでたのかもしれないな、とヴェルフェディリオは思う。先程の女たちとは一線を期したような凛とした美しさは、ヴェルフェディリオに好感を抱かせた。やっと落ち着いたような気がして、彼女の隣に腰を下ろした。

「…あんたと寝たこと、あったっけ?」
「一度だけ。覚えてないなんてひどい人ね」
「はは、悪いな」

 女は口を尖らせたが、非難の色はなかった。悪びれないヴェルディリオに、女の方も好感を持ったようだった。「ちっと疲れた。寝させてくれや」とふっかふかのベッドにぼすんと寝そべると、女はふっと穏やかに笑んだ。

「アナタって女を可愛がるのは好きなのに、女のことはキライよね」
「へっ、俺は女の子なら等しく大好きだぜえ?何でそんなこと」
「女のカンね。キライって言うより、寄せ付けないって言うのかしら」

 女がすらすらとそう言った。帝都の人間らしい綺麗なイントネーションだ。ホドでこんな喋り方をするのは外で仕事をするマトリカリアやペールギュント、そして閉鎖的なカンタビレで育ったセクエンツィアくらいだ。あ、何でかまたセクエンツィアのことを考えてる。酔ってるからか。ならいいや、と思ってヴェルフェディリオは、頭に浮かんだままの台詞を女に投げる。




「あんたの目、俺の好きな奴に似てる」




 あれ、俺は今なんつった?俺の、『好きな』、奴?誰が?俺が?
 誰を?
 女は「なあんだ、好きなコがいるのね」と詰まらなさそうに言った。女が寝転がる。ヴェルフェディリオの隣で。女が見る、ヴェルフェディリオを見る、セクエンツィアと同じ菫色の瞳で。




「良かったわね」


 女は言った。


「アナタが、ひとりの人を愛することができて」




 だってアナタ、身体に触れさせてはくれても、心に触れさせてはくれないんだもの。女は笑った。花びらが密やかに開くように、笑った。
 無性にこの女を抱きしめたくなった。この女に愛情めいたものを抱いたわけではなかったが、親愛のような気持ちが芽生えていた。「あんた、名前は?」と聞くと女はまた笑った。「カネル」と名乗って、アナタが名前を聞くのは始めてね、と言った。カネルはヴェルフェディリオを抱きしめて眠りに落ちた。



Tuba mirum W