ヴェルフェディリオの行動は音速より早かった。オールドラント史上アホらしいくらい空前絶後の滑空術を今度はセクエンツィアを小脇に抱えてやってのけ、ホドで彼女を下ろした後約束通りグランコクマまで一人飛び、堅物中将をあんぐり開いた顎が外れるくらいに驚かせた。それからロニール山脈での魔物討伐を口笛交じりに片付け、悠々とホドに帰還すると、すぐに婚礼の準備に取り掛かったのである。レクエラートの承認もあってか七天兵からは肩すかしを喰らうくらいにすんなり許可が出て、セクエンツィア以外に騎士も従者もいらん、というヴェルフェディリオの主張でそのまま第4席にも残留することとなった。セクエンツィアもまた、セクエンツィア自身であることと騎士であることを両立する心づもりだった。ふたりして、『七天兵』の面々も認めざるを得ないほどの、子供じみた頑固さであった。
 ヴェルフェディリオはフェンデの礼服があるからいいとして、セクエンツィアはどうするか。その問題はすぐに解決された。七天兵との話がついた翌日、フェレス島から大きな包みが届いたのである。しゅるしゅると紫色のリボンを解けば、中に入っていたのは真新しいウェディングドレスだった。同封されていた手紙には、差出人の姉キリエから、それが生前の母が娘たちのために自ら縫い上げたものであり、未完成のまま残された部分はキリエが仕上げたのだと書いてあった。また、一針だけ兄も手がけている、とこっそり書かれていたのだった。  嬉しさのあまりぽろぽろ涙を零したセクエンツィアが包みの中で最後に見つけたのは、大きなスタールビーのペンダントだった。それも、母の残したものだということだった。生まれてすぐに母を失くしたセクエンツィアは、ドレスとそれを一緒くたに抱きしめて、瞼の母を想った。そして、兄と姉のことを想った。



 そして、結婚式当日。



「しかし、ベル、お前もとうとう結婚か。お前が一番遅くなるとは、思わなかった」
「そうかなあ?ベルって結構ヘタレだから、予想はしてたけど」
「うっせ、ジグ、アル。あとベルやめろ」



 かあっと顔を赤くしたヴェルフェディリオ・ラファ・フェンデに、幼馴染たちは笑った。ジグ、ベル、アル、ただホドを駆けまわるだけでよかったあの頃と同じように来やすく名前を呼んで、軽口を叩いて。ガルディオス、フェンデにナイマッハ、己が名を背負うようになってからもこうやって笑えるのが、嬉しかった。
 花婿準備は整った。あとは、花嫁を待つばかり。フェンデ邸の庭に仮設した待合のテントで、幼馴染たちとともにセクエンツィアを待つヴェルフェディリオは、テントに何者かの気配が迫ったのに気付いた。「誰だ?」ジグムントが、アクゼルストが顔を上げる。
 テントの入口に、その人物は現れた。上から下まで白装束の男、白銀が顔の左半分を覆い隠し、菫色の左目だけがモノクル越しにこちらを見つめている。



「レイ!」



 ジグムントとアクゼルストが同時に彼の名を呼んだ。彼は、それに応えるように嘆息した。「何時までその呼び方をするつもりだ、お前たちは」。そこには昔馴染みの言葉を厭う色が含まれていたが、それにヴェルフェディリオは驚いた。先日対面したときとは違う、昔のようなレクエラートがそこにいた。

「今度はカンタビレ=ダアト家当主としてではなく、『ただの』レクエラートとして参った」

 レクエラートは、静かに歩み寄る。ヴェルフェディリオに、かつて第四席として仕えた主に、懐かしい幼馴染に、彼は深々と頭を下げた。驚くヴェルフェディリオ。まるで、先日とは逆の立場だ。
 「ヴェルフェディリオ様」、レクエラートはそう目の前の男を呼んだ。レクエラートはいつもそうだった。律儀にヴェルフェディリオの名前を最初から最後まで呼んで、様まで付けて、宝物のように名前を呼んだ。出会ったときから、ホドを去るときまで、ずっと。



「妹を、頼みます」



 レクエラートは、そう言った。彼はいつまでも頭を下げていた。ヴェルフェディリオは彼の面を上げさせる。片方だけ残された紫紺の瞳と向かい合う。「レイ」、何のしがらみもなく、青と紫が交わされ合う。昔のように。



「必ず。…必ず、セツィを守る」



 レクエラートが、ヴェルフェディリオを見ていた。その瞳は凍りついてはおらず、生きた人間の目として輝いていた。ひとりが頷くと、もうひとりもまた頷いた。レクエラートは席を立ち、テントを後にした。その唇が、なにごとか動いていたのを、ヴェルフェディリオらは見た。残されたジグムントが、ヴェルフェディリオが、アクゼルストが、ふっと笑って、レクエラートの言葉をなぞった。音にならなかった言葉を、読み上げた。





「おしあわせに!」





 幼馴染たちは、盛大に笑った。レクエラートも、あの不器用で妹想いの幼馴染もまた、笑みを浮かべていた。花嫁の準備が終わったことを知らせに来たユージェニーとマトリカリアが、笑い転げる男たちに首を傾げた。



Tuba mirum [