西ホド海を駆ける、3隻の船舶。そのどれもが、簡略化された双剣と盾が描かれるホドの旗を掲げた、ガルディオス伯爵籍の船舶である。その3隻のうち、先導する1隻の甲板に立つ蒼天騎士団隊長主席たるアクゼルスト・テオラ・ナイマッハは、見張り台からの合図を受けてスラリと刀を抜いた。その刀身は、真上に昇る太陽から降り注ぐ光を照り返す。それ自身が光を放っているような刃を、アクゼルストは真っ直ぐ前へ突き出した。

「クニミツ小隊・ロマリエ小隊、銃剣構え!カルビレオ小隊は後続の群れに備え、ガレフィス小隊はその援護を!この海域は既に奴らの縄張りだ。油断するな!」

 朗々と声を張り上げたアクゼルストの命令を、残りの2隻にそれぞれ乗り込んだペールギュント、ロジェのふたりの隊長が、各小隊に伝える。アクゼルストの命じた通りに蒼天騎士団が戦闘準備を整えていくのを、ヴェルフェディリオ・ラファ・フェンデはアクゼルストが立つのと同じ甲板に立って悠々と眺めていた。正式には蒼天騎士団に属していないヴェルフェディリオは、アクゼルストの率いる小隊の後方で制御室の壁に背を預けてさえいた。隣の従騎士セクエンツィアがむうっとした顔でいるのもいつものことだ。騎士団さんの一員じゃないからって余裕見せすぎです、とでも言いたそうなセクエンツィアに向かって、ヴェルフェディリオはニヤリと笑って言ってやる。「だーいじょうぶだってぇ、アルの面子を潰さない程度には働くからよ」。目の前の海がごぼっと粟立った。アクゼルストは再び声を張り上げた。

「来るぞ!」

 アクゼルストが言ったのと、水面から無数のバルムンクラブが飛び上がって来たのは同時だった。「放て!」アクゼルストの率いる両小隊が一斉に銃弾を放ち、大半のバルムンクラブは飛び上がった格好のまま撃ち抜かれて、成す術もなく西ホド海へと落ちて行った。銃弾を逃れた数匹のバルムンクラブを、アクゼルスト自ら切り捨てる。『白鷹』の二つ名に相応しく、一つに纏めた白髪が鷹の尾羽のよう空を裂く。一刀の元に真横に両断されたバルムンクラブの上下部分が甲板に落ちる。アクゼルストは鋭い鷹の目で両小隊を見回し、次弾の装填を命じた。大量発生したバルムンクラブの第二陣がやってくる。構え。放て。ふたりの隊長の統括のもと、両小隊はバルムンクラブの群れに向かって二弾目を放った。海面に撃ち抜かれたバルムンクラブがどぼんと落ちる音、甲板に着地する無数の足と甲板の床が擦れる音。アクゼルストはロマリエ小隊に銃剣を下ろさせ、散開させた。ふたつの小隊を銃撃による撃退と、銃剣術による撃退の役割で分かれさせたのだ。蒼天騎士団唯一の女小隊長であるロマリエに率いられた小隊の騎士たちは、鬨の声を上げてバルムンクラブに向かっていった。
 それに応じて、隊長ロジェの乗る一隻も戦闘準備に入る。「カルビレオ小隊、構え!」二小隊に分かれて最初に撃破できる数が減ったアクゼルストの船を援護するべく、一斉に銃剣を構える。あとは、放つだけだというその瞬間、一際海が粟立った。ごばぁ、と音を立てて現れたのは、海坊主かと見紛うばかりの巨大な影。バルムンクラブ・キングとでも呼ぶべき、通常の個体より一回りも二回りも大きなバルムンクラブだった。今回の大量発生はこいつが原因か、とヴェルフェディリオは冷静に分析した。演習気分の出撃だったが、こりゃ想定外だな。予想通り、ロジェ隊は突然の大物の出現にパニックに陥った。ロジェと副官のオリバーが落ち着くように声を張り上げるが、一度平静を欠いた小隊は 混乱を増すばかりだ。連れてきたのが若く実戦経験の少ないカルビレオ小隊だったのも悪かった。小隊長のカルビレオでさえ、満足に構えも取れなかった。そこに、取りこぼしたバルムンクラブの群れが躍り出る。
 こりゃマズいな、とヴェルフェディリオが焦りを浮かべたとき動いたのは、ペールギュント率いるガレフィスス小隊だ。蒼天騎士団の中でもペールギュントについてマルクト軍に従軍するこの隊は、実践慣れした本物の騎士たちだ。彼らの放った銃弾はロジェの船を襲うバルムンクラブの群れのほとんどを撃ち落とす。僅かに取りこぼした数匹は、やっと平静を取り戻した小隊の騎士たちが銃剣を振りかざし撃退した。流石はガレフィスだ、と彼らの船に目を向ければ、逞しい老軍人はヴェルフェディリオに向かって豪放磊落な笑顔を見せる。相変わらずだな、ヴェルフェディリオは何度か肩を並べたこともある歴戦の騎士に笑みを返した。

 ヴェリオさま。セクエンツィアの声に応えるまでもなく、ヴェルフェディリオは歩き出す。バルムンクラブ・キングに応戦するアクゼルストは、それに気付いて両小隊に後退を命じた。小物を迎撃しながら後退する騎士たちの間を通り抜けて、ヴェルフェディリオは歩く。一歩後ろに従騎士セクエンツィアを従えて。

「さてと、」

 ヴェルフェディリオは足を止めて、声とともにぐっと腰を落とした。即座に襲いかかってくる数匹のバルムンクラブを、一瞬でヴェルフェディリオの前に躍り出たセクエンツィアが両断する。そのすぅと冷えた菫色の目が、痺れるくらいに好きなんだよな、と場違いなことを考えている間に、ヴェルフェディリオは足裏に集めた譜力を解放し、宙に飛び上がった。およそ人の滞空できる高さを遥かに超えた位置から、ヴェルフェディリオはバルムンクラブ・キングを見下ろした。キングは目の前から忽然と消えた人間を探していた。そして、頭上のヴェルフェディリオに気付く。ぎょろりとした二対の目がヴェルフェディリオを捉えたその時には、もう遅い。



「喰らいな、デカブツッ!!」



 ヴェルフェディリオは、天から光を引き摺りだすようにしてその右手を振り下ろした。正しく、『神の右手(レオン)』から放たれた柱状の超高密度の第六音素は、キングを袈裟懸けに貫いた。ほぼ半身をなくしたキングは、ぎゅるぎゅると残った片目を不快な動きをさせて動かしながら崩れ落ちていった。ざばあん、と大飛沫を上げて、バルムンクラブ・キングは撃沈した。すとっと危なげなくヴェルフェディリオが甲板に着地した瞬間に、オオーッと歓声の大音鐘。その波に乗って、アクゼルストは剣を天高く掲げた。



「さあ、残りを叩くぞ!」



 ホドの軍勢は、一斉の鬨の声でそれに応えた。





「ご苦労、アクゼルスト、ヴェルフェディリオ。バルムンクラブ大量発生の根源とみられるキングを撃破したことで、問題になっていた漁師網の甚大な被害も収まるだろう」
「騎士団の損失はこれといって無し、被害が大きく経済支援が必要な島民のリストアップは済んでる。問題なしだね」

 ガルディオス伯爵邸、執務室。バルムンクラブ討伐任務の事後報告に訪れた左右の騎士のうち、アクゼルストは「と、言いたいところだけど」と自分の言葉を引き取った。ジグムントは「何だ?」とアクゼルストの言葉の続きを促した。



「気がかりな点がひとつある。ヴェルフェディリオ、君も分かってるとは思うけど」



 アクゼルストはひらりと身を翻してヴェルフェディリオに向き直った。ヴェルフェディリオは頷いて、アクゼルストが考えているのとおそらくは同じことを口にする。

 騎士団の、質の下降。

 アクゼルストがふわりと頷き返す。アクゼルストはジグムントへと視線を戻して、続けた。

「ホドの自警を主な任務とする僕の隊や、マルクト軍に従軍する父さんの隊はともかく、実戦経験の少ない騎士が増えてる。今日の任務も比較的易しいものだったけど、ガレフィス小隊の援護を必要としなければならなかった。さらに、キムラスカとの戦乱を経験したクニミツのような世代の騎士と、戦争を知らないカルビレオのような若い世代の騎士との軋轢が高まっている」

 「想定外の大物が現れたってのもあるけど、実践慣れしてなさすぎってのは俺も思ったぜえ」とカルビレオ小隊の失態を思い起こしてヴェルフェディリオが引き継ぐ。ジグムントは深く首肯して、「それは、私も懸念していることだ」とため息をついた。平和なのは結構なことだが、ホドの軍力を担う蒼天騎士団の質が下がるのは忌避すべき事態だ。「小隊の任務内容をローテーションして、徐々に実戦に慣れさせるほかないな」。ジグムントは、そもそも争い自体を嫌っている。そして、戦場に立たない自分の代わりに部下の騎士たちに争いを代行させること自体に自責の念がある。だから、戦争を知る世代にも、知らない世代にも同調し、必要以上に悩み込んでしまうのだった。
 「キムラスカのファブレ公爵が、うちと似た私兵を持っていたね。白光騎士団だったか。そこと、軍事演習をしてもらうというのも一つの手かもしれないね」と顎に手をやって言ったアクゼルストは、ふとジグムントの執務机に、ある書類が束ねられて置いてあるのに気付いた。アクゼルストの視線がそこに向かったのに引かれて、ヴェルフェディリオもそれを見る。

 それは、マルクト帝国皇帝の印が押された、正式な親書だった。
 ああ、とジグムントはふたりの視線を受けて、それを取り上げる。



「『フォミクリー』研究施設建設の、打診だ」



 やはり、そうかとヴェルフェディリオは思った。
 その申し出は数年前から、正確に言えば、ホドに帰還したアクゼルストが、ホドで再開した研究を発表しはじめてから、話だけは出ていた。アクゼルストはかつて、ホドを出奔後、ダアトを拠点にして研究活動を行っていたという。それも、それなりに高名な研究者の元で。元々第七音素と超振動研究で多大な功績をあげてきたホドは、アクゼルストの帰還により活性化された。そこで、帝国が公的事業として研究施設を作ることでよりホドでの研究活動を効率化しようと言っているのだ。

「フォミクリーは、被験者から取り出したレプリカ情報を利用してその複製品を作りだす技術だ」

 そして、その研究所の所長となることを要望されているアクゼルストが言う。

「レプリカ?」
「例えばね、ヴェルフェディリオ。君を元にして、君とまったく同じ人間を作り出す。顔も、目も、髪も、一つとして違わない、ね」
「げっ。何だそれ、気持ち悪っ」
「まあ、そもそも生体レプリカの成功例は数えるほどしかないけどね」

 舌をんべえと突き出して生理的な不快感を表したヴェルフェディリオに、淡々と告げるアクゼルスト。
 アクゼルストは、渋い顔のままのジグムントに向き直る。「ジグ、どうするつもり?」

「受けるつもりではいる。見返りに、慢性的な医師不足を解消するべくホド諸島各地に病院を立てる支援もすると言われているし、アルのような優秀な研究者が増えることでホドの学術的進歩も進むだろう。だが…」
「研究所を承認するのなら、僕も所長の任を受ける。僕が内部にいる限り、行きすぎた研究はやらせないよ」

 ジグムントと、アクゼルストの視線が交差する。蒼と碧が探り合うように互いを覗き込んだ。ジグムントは、目を伏せて「わかった」と言った。



「本土に返信しよう。申し出を受ける、と」



 ジグムントは、親書にサインを記した。こうして、ホドにフォミクリー研究施設が創設されることが決定した。



Confutatis U