「髪、切らないのか?」
ジグムントは、地上から漏れ入る日光に目を細めながらそう言った。ユリアの墓に向かって頭を垂れるヴェルフェディリオは、緩慢な動作でゆうらりと振り返る。腰まで伸ばした髪が連動して、さらりと動いた。
「まぁ、な。なんつーか、願かけだよ、願かけ」
「ふ、あらゆる未来を預言したユリア・ジュエの子孫であるお前が、願かけ、か」
「うっせ」
ユリアの墓が位置するホドの地下空間は、始祖ユリアの直系子孫たるフェンデの人間以外には閉ざされている。だというのに、ユリアの墓を参るときは、ジグムントが計ったように現れて、ヴェルフェディリオの後をほいほいと付いてきた。ヴェルフェディリオはというと、七天兵にバレなきゃいいか、と気楽なものだった。ガルディオス伯爵と右の騎士フェンデではなく、ただの幼馴染として交わされる会話は気の置けない、レクエラート・カンタビレやアストラエア・ナイマッハがホドに存在したころのそれだった。
ジグムントの目から、きっとヴェルフェディリオの姿は滑稽に見えたろう。ヴェルフェディリオは己が未来を知っている。己が生まれた日を知っているし、己が死ぬ日も知っている。ヴェルフェディリオ・ラファ・フェンデという音譜は既に記されている。いや、それだけではない。この世界に生きるものならば、それらが奏でる音譜は既に記されている。オールドラントそのもの、でさえも。だから、未来に願をかける、などということは、意味がない。未来は既に記されているのだから。あらかじめ与えられた音譜を奏でることこそが、生きるということなのだから。
だからこそ、ヴェルフェディリオは11年前から髪を伸ばし続けた。それは、未来を変えるためではない。それをヴェルフェディリオは己に許さない。預言は違えてはならない。預言は遂行されなければならない。例え、その終わりに破滅が記されていたとして、も。
「…ローレライよ」
だからこれは、祈りだ。
未来を変えるような力なんてない、ただの祈りだ。
「ローレライよ、あわれみたまえ。
始祖ユリアよ、あわれみたまえ。
ローレライよ、あわれみたまえ」
ヴェルフェディリオには視える。
あの子の過去が、今が、未来が、その始まりが、その終わりが。
「どうか、あの子の涙を掬うものが在りますよう」
だからヴェルフェディリオは祈る。
愛する息子へ、彼が奏でるべき栄光の哀歌に寄り添うように、祈り続ける。
その時、
「ヴァアアアァァアアァァァンッ!!!!!」
ヴァンデスデルカとセクエンツィアと、ふたりに向かって剣を振り下ろそうとしたキムラスカ兵の間に光のかたまりが割って入った。それが父であると、ヴァンデスデルカには分かった。光に包まれた父がキムラスカ兵に触れた瞬間、キムラスカ兵の身体が砕け散った。一人の人間を構築していた音素は、白光の鎧もろとも超密度の第六音素によって音素乖離を起こし、ばらばらに分解されて空気中に離散した。
そして、次の瞬間、父の背後に倒壊した家屋が迫った。ぐらあ、と音を立てて、一気に迫り来たそれは、母とヴァンデスデルカをも押し潰しかねない勢いだった。逃げなければ、とヴァンデスデルカは思った。だが、動けなかった。動けなかった。母の腕の中で、震えていることしかできなかった。ヴァンデスデルカは、思った。ああ、僕はここで、死ぬんだ、と。
その時、父が、腕を大きく広げた。か弱い雛を守るため、親鳥が翼を広げるように。ヴァンデスデルカを、守るために。ありったけの譜力を込めた両腕を、大きく広げ、倒壊する家屋を、その身体で受け止めた。
「ごめんな」
父、は、
「ごめんなあ、ヴァン…」
父は、泣いていた。
「お前に、こんな預言を与えちまって、ごめんな。つらいことばっか、お前に負わせちまって、ごめんなあ…」
父の涙が、ヴァンデスデルカに降ってくる。慈雨のように、降り注ぐ。父の長い、長い髪が、ヴァンデスデルカを包むように、垂れ下がる。
「傍にいてやることさえできない…馬鹿な親父で…ごめんなあ…」
父、が、泣く。
「セツィ、」と父が母を呼ぶ。母は「ヴェリオさま!」と泣き声で父を呼び返した。「ヴァンと、…その子を、頼んだぞ」。母は、頷いた。こくこくと、何度も、何度も。
母がヴァンデスデルカの手を引く。父が身を盾にして防ぐ倒壊した家屋の影から、脱出する。「ヴァン、行くの、行くのよ、ヴァン!」母に手を引かれるままに、ヴァンデスデルカは立ち上がる。ヴァンデスデルカは父を見た。縋るように、父を見た。
「父さん」
父は笑った。
にかり、と、笑った。
「父さんっ…!!」
ヴァンデスデルカは走り出す。母に連れられて、崩れ落ちるホドを走る。その背中が見えなくなるまで、ヴェルフェディリオは立ち続けた。いつ振り返られたっていいように、ずっと、笑いながら、
「…少しはカッコイイとこ、見せられたかな」
ばたん、と音を立てて、崩れかけた家屋が完全に倒壊する。
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