ひとりの男が、玉座に腰かけている。そう、それは玉座であった。この場において、彼は王であった。彼は、真紅の髪と、緑の目の男だった。その、第七音素と同じ緑の色をした目は、鋭利に尖った眼差しで前方を見据えていた。

「ファブレ元帥」

 男が纏うのと同じように、白光を鎧う騎士が男に告げる。

「ファブレ元帥。前方に見えるのが、ホド島です」

 男は、頷いた。
 そして、ゆっくりと腕を持ち上げる。

 彼の人差し指が、真っ直ぐにホドを差す。眼前に迫るそれを射抜くように、その指を掲げる。



「皆の者」



 そして、彼は言った。



「戦争を、始めるぞ」



 預言を、果たすために。

 彼の声に応えて、白光の騎士たちが鬨の声を上げた。彼は、鼓膜に打ち鳴らされるそれを、どこか遠くの出来事のように聞いていた。





「まったく…こんな時に、あのバカ息子は、どこへ行ったのだ!」

 ペールギュントが吐き出した言葉が指す人物が、ヴェルフェディリオには容易に連想できた。アクゼルスト・テオラ・ナイマッハはパーティー会場にいなかった。だから、止むを得ず隊長主席を欠いた蒼天騎士団はペールギュントと、もう一人の隊長ロジェに率いられることとなったのだった。ヴェルフェディリオたちは、主ジグムントの命を受けてガルディオス伯爵邸から出撃することとなった。報告によれば、ホドの周縁部にあたるエルド地区、マルクト地区、ネツァク地区がキムラスカの攻撃を受けているとのことだった。これらの地区は、島民たちの居住区にあたった。ジグムントは、ホド島民の救助を第一とした。こうして、ヴェルフェディリオ、セクエンツィアを除くレヴァーテインら、ペールギュント、アクゼルスト隊所属のいくつかの小隊を除く蒼天騎士団がキムラスカ軍の攻撃に応対することとなったのである。

「…致し方ない。アクゼルストの奴も、この騒ぎを聞きつければ直ぐに戻るだろう」

 ため息をついたペールギュントに、そうだな、と同意を示して頷いた。ペールギュントは、泡のように浮き上がる翳った感情を振り払うようにして軽く首を振り、ヴェルフェディリオを見据えた。「ヴェルフェディリオ、」と呼ばれて、ヴェルフェディリオは彼を見つめ返した。碧の目が、『白鷲』の呼び名に相応しく、猛禽類のように研ぎ澄まされこちらに向けられていた。

「後にここで、落ち合おう。死ぬなよ、フェンデの」
「…ああ。あんたもな、ナイマッハ」

 右の騎士は左の騎士の、左の騎士は右の騎士の名を呼ぶ。言祝ぎのように、そうする。
 ペールギュントが、蒼天騎士団の前代の隊長主席として剣を振り上げた。天を貫くように掲げるそれが銃士らの道しるべとなった。ジグムントが示したのと同じ未来を、ペールギュントもまた示していた。そして、ペールギュントに導かれる銃士らも、同じ未来を、示していた。



 ヴェルフェディリオは、気付いていた。パーティー会場にいなかったのが、アクゼルストだけでないことを。いなかったのが、アクゼルストであるということの意味を。
 ヴェルフェディリオは気付いていた。キムラスカの足音が聞こえてくるよりもずっと前に、気付いていた。
 その耳に、終わりの始まりの音を聞いていた。




「…ヴァン、」




 ヴェルフェディリオは、姿の見えない息子の名を呼んだ。
 その表情は、彼が思っているよりもずっと、痛むように、悼むように、奇妙に歪んでいた。





「アクゼルストさん」

 ヴァンデスデルカは、手を引かれて歩いている。アクゼルスト・テオラの表情は見えなかった。アクゼルストは、ヴァンデスデルカを見ることなく、ただ無機物のように足を前へ前へと動かしていた。

「ねえ…アクゼルストさん。こっちは、病院じゃないですよ…」

 ヴァンデスデルカは、アクゼルストが自分をどこに連れて行こうとしているか分かっていた。それは、ヴァンデスデルカがこの半年間、頻繁に通うことになった道だった。しかし、ヴァンデスデルカはそれを認めようとしなかった。いや、認めたくないといったほうがよかったろう。



「アクゼルスト、さん」



 彼が、振り返った。アクゼルスト・テオラ・ナイマッハの表情がヴァンデスデルカの視界に入ろうとしたその時、彼の右手が消えた。目にも止まらぬ速さで振り上げられたそれは、的確にヴァンデスデルカの項を打ち抜いた。アクゼルストの表情は見えなかった。だから、彼がその瞬間、何を考えていたのか、ヴァンデスデルカには分からない。そして、未来永劫、知ることはない。
 ヴァンデスデルカは、宵闇に包まれるように気を失った。





「ロジェ、ガレフィス、住民の避難を急げ!カルビレオ小隊は、退路の確保を!」

 マルクト地区に入ったペールギュントは、蒼天騎士団に指示を飛ばしながら疑問を抱かざるを得なかった。何かが、おかしい。そうペールギュントに思わせたのは、キムラスカ軍のとった艦の陣形だった。キムラスカ軍は、円形のホド島の南半分、3箇所から上陸し、それぞれエルド、マルクト、ネツァク地区に進軍した。故に、蒼天騎士団とフェンデ家率いるレヴァーテインは、そのそれぞれの進軍を阻止すると共に、居住区にあたる3地区からの住民の救助のために動いた。
 進軍を止めること自体は難しくはなかったのだ。前線には右の騎士ヴェルフェディリオとその傘下のレヴァーテイン、先代左の騎士ペールギュントという、ホドが誇る主戦力が出向いていた。ヴェルフェディリオは『神の右手』と謳われる大譜術士であり、その能力は一人で1部隊の力を発揮する。また、ペールギュント自身も『白鷲』の名をもつ歴戦の騎士であり、マルクト正規軍に加わり今のホドで最も戦場に慣れた人間であると自負できる。蒼天騎士団はその統率の元に実戦経験の少なさを補って余りある働きを見せていた。
 ただ、ペールギュントには疑念があった。じわりと染み出すように感じる手応えの無さがペールギュントを疑心暗鬼にさせた。キムラスカは、こんなものか?いや、違う。おかしい。何かが、おかしいのだ。奴らはこんなものではない。奴らは何かを考えている。そう例えば、




 この陣形が、ホドの戦力を拡散させる罠だとしたら。




「…ッッ!?」



 ドォン、と、音がした。



 ペールギュントが、蒼天を鎧う騎士たちが、振り返る。そこに広がっていたのは。ああ、そこに広がっていたのは。



「…(たばか)られた、」



 ホドが、燃えていた。ホドの北半分が、ゲブラー、ビナー、ケテル地区が、そして、ホドの中心部にあたるダアト地区が。
 ガルディオス伯爵邸の位置する、正にそこが。



「キムラスカの、雑兵めッッッ!!!!!」



 キムラスカ軍の奇襲攻撃が、音機関爆弾の紅蓮とともにそれらに襲いかかっていた。



Lacrimosa X