今となっては昔のことですが、ひとりの怪獣がからからの砂漠に住んでおりました。その怪獣はたいそう人間とよく似た姿をしていたのですが、
それを見た人間たちはみな、それを怪獣と呼びました。どうしてかって、怪獣は普通の人間より頭がふたつ分は大きくて、その上怪獣の 触ったものはみな、時間が止まってしまうのです。「怪獣だ、氷の怪獣だ。きんきんに凍りたくなけりゃ、逃げろ。逃げろ。」怪獣を見た
人間はみな、そう言います。子供も、大人も、男も、女も、みんなそうです。
その日、怪獣はキャラバンの一隊がオアシスで休憩しているのを見ました。怪獣がオアシスに近づくと、瞬く間にオアシスは一面凍り ついてしまいました。キャラバンの人間たちは、それに気付くと、「怪獣だ。怪獣だ。」と、一目散に逃げてしまいました。余程急いで
いたのでしょう、大切な竜車も、商品も、全て置いていってしまいました。
怪獣は凍ったオアシスの上を歩いて、置いてけぼりの竜車の中に入りました。竜車の中はかんかんに照り付ける太陽の光が及ばず、少し 薄暗いです。怪獣が血と同じ色をした瞳でぎょろりと中を見回して、目を留めたものがありました。
それは、人形でした。
人形はひんやり冷たい木の床の上で、目を閉じてちょこんとおすわりしています。大きさは怪獣の半分くらいです。(いえ、もう少し 大きかったかもしれません。何しろ人形はおすわりしていましたから)金色の髪の毛は、先のほうに行くにつれて赤味を帯びているのが
とてもきれいです。
怪獣は、人形の目はどんな色をしているだろうと思いました。知りたくて知りたくて、とうとう怪獣は人形に話しかけました。
「こんにちは、人形さん」
「こんにちは」
人形はぱちりと目を開けました。人形の目の色は、赤でした。しかし怪獣のものとはまるで違います。どう表せばいいだろう?どう表せ ば、この瞳のすてきさを口にできるだろう?砂漠から出たことのない怪獣にはわかりません。
知らず知らず、怪獣は人形にそっと手を伸ばしていました。あっと気付いたときには、怪獣の指先は人形の頬のあたりに触れています。 怪獣は驚きました。人形は止まりませんでした。これまで怪獣が触ったものは、ひとつ残らず凍り付いて砕けちったのに。
「どうして君は凍らないんだい?」
「さあ、僕は人形だから」
「人形だから?」
「そう、僕は人形だから、最初から止まっている。だからじゃないかな」
人形は淡々と答えます。怪獣はますます驚きました。怪獣と話するものなんて、これまで出会ったことがありませんでしたから。
「俺は怪獣なんだ」
「そうかい」
「怖くないのか?」
「さあ、僕は人形だから」
「俺は全部を凍らせてしまうんだ。人間も、動物も、植物も、オアシスも。だから怪獣なんだ」
「そう。なら海へ行ったらどうだい」
「海?」
「海というところは、たくさんたくさん水があるそうだ。それほどたくさんなら、君が凍らせることもできないんじゃないか?」
「そうかもしれない」
怪獣は、人形のことばをとても名案だと思いました。
「君も一緒にこないか?」
「かまわない。その前に」
その時竜車の外の太陽が、空の一番上に来ました。一層強くなった日差しは、竜車の中にもとうとうやってきました。人形の髪が光を 反射してぴかぴか光ります。
「まずは僕を背負ってくれないか。僕は人形なんでね」
怪獣は、人形を背負って歩きました。人形の話では、海というものは砂漠をずっとずっと行ったところにあるそうです。怪獣は人間より ずっと力があります。朝も歩きました。昼も歩きました。夜も歩きました。人間に会うことはありませんでしたが、怪獣はぜんぜんさびしく
ありませんでした。人形がいてくれたからです。
人形はとても物知りです。特に夜には、人形は饒舌です。人形は夜空を見上げて星の話をしてくれます。ベテルギウス、リゲル、シリウス 、プロキオン。星を数えながら怪獣と人形は、昼間よりちょっとゆっくり進みます。
「誰が星のことを教えてくれたのか」と怪獣が聞いたことがあります。人形は「僕を作ったおじいさんだ」と答えました。怪獣は人形を 作ったのはどんな人だろう、と考えました。朝だって夜だって、きらきら光る、いくつもの流れ星のような髪を、アルデバランよりもっと
きれいな瞳を作ったのは誰だろうと、考えました。
どれほど歩いたでしょうか。怪獣は見たことのないものを見ました。青です。青色がずっと広がっています。怪獣の見える分よりきっと、 もっともっともっと広い青が、広がっているのでしょう。そう感じられるような広さでした。それはきっと、ずっと続いてきた砂漠より
大きいのです。何という大きさなのでしょう。
「海だよ、これが海だ」
人形は言いました。怪獣は答えられませんでした。途方もない青色に目を奪われて、まだ喉が砂漠のように干上がっていたのです。 足だけは止めずに進みます、
怪獣と人形は、すぐに海の端っこまで辿りつきました。さらさらした砂の上を、海の切れ端が、引いては遠のき、引いては遠のいていき ます。ふいにすこし大きなそれがやってきて、怪獣のはだしのあしに当たってぱちゃんぱちゃんと音を立てました。海はすぐに去っていき
ます。
怪獣は少しの間そうしていましたが、やがて人形を砂浜に下ろして、自分もその隣に座りました。人形と怪獣の目の前には、おなじ海が 広がっています。ざざあ、ざざあ、と、音を立てて、海がやってきて、また、かえっていきます。
「これから、どうするんだい?」
「そうだなあ、海はもう見てしまったし」
もうそろそろ日が沈むころです。向こうの海と太陽がもう少しでキスするところでした。
「海の端っこを、沿って歩いていくのはどうだ?」
「いいかもしれないね」
「それでまた、星の話を教えてくれ」
怪獣は立ち上がって、人形の方へ手を伸ばします。ちっちゃな人形の影と、おっきな怪獣の影が、合わさって、ひとつの影になります。 海は止まりません。ざざん、ざざあん、と、人形と怪獣を迎えては、去っていきます。
そのままふたりはまた、星を見上げながら、歩いていったということです。
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