おい、あんた。そう、其処のあんただよ。ほんの少しでいい、おれのくだらない話を聞いてくれないか。
 ホドって島は知ってるか。そう、そのホドさ。おれはその島の出身でね。 なんだ、そんなに驚くことじゃないだろう。このご時世だ、不思議じゃない話だろう?帰る故郷がないなんて事はな。
 今じゃ飲んだくれのおやじだが、おれは昔騎士だった。軍人じゃあない、領主さまの私兵さ。 とは言っても、下っ端の下っ端でね。毎日毎日屋敷の前で立ちっぱなしさ。でも、嫌な仕事じゃあなかったよ。
 領主さまは仕事の合間に、直ぐに執務室を飛び出して「出掛ける」なんて言いながら玄関から出て行くんだ。何をしに行くかって?昼寝をしにいくのさ。 あの方はホドで一番寝心地のいい場所を知っていたから。しばらく帰ってこないと、フェンデの―――ああ、フェンデっていうのは領主さまの一番の騎士の家さ―――騎士さまが引っ張って連れ帰ってくる。 あの方は眠そうな眼をして、「只今」とおれに言うのさ。
 休みの日になると、屋敷に沢山の人が集まってくる。信じられるか?領主さまのご子息と島の子供が一緒くたになって屋敷の庭を駆け回っているんだ。 あの島には身分なんてなかったんだよ。しばらくすると、シルフが笑い声と一緒に甘い甘い香りを運んでくる。奥方様がケーキを焼くんだ。 そうしたら、幾ら呼んでも駆け回ってる子供たちが集まってくるのさ。お茶会の始まりだ。
 あの島では何時も誰かの歌が聞こえた。それは、執務室から響いてくるぼそぼそとした下手っぴいな声だったり、フェンデの嫁さんの鈴が鳴るようなうつくしい歌声であったり、 おれの濁声だった。誰かの歌声が聞こえると、考える前に口ずさみだすのさ。そうして、ホドが歌いだすんだ。

 おれには妹がいてね。エンゲ―ブにさ。おれが大事に育てた妹だ。両親がいなくかったから、おれが親父で兄貴だった。 もう20年も前に嫁にやったんだ。真面目でよく働く農家の男だよ。いやあ、結婚式では泣いたね。出席してくれてた領主さまがぼろぼろ泣いてたときは驚いたけどな。 あの方にとっては、島の人間全員が家族だったんだな。その妹が、子供を産んだのさ。女の子だよ。今年16になる。
 予定より随分早い出産だった。おれは慌てて本土行きの船に飛び乗ったよ。領主さまに平謝りして、「行ってきます」って言った。
 その日は、領主さまのご子息の誕生日から3日前だったんだ。

 おれは帰る場所を失った。妹夫婦の世話になるのも躊躇われて、ケセドニアで傭兵になった。剣を握る以外に生きる道もなかったからな。
 ふとした時海岸から見えなくなった白い島を思い出した。失ってから気付いたんだ。 気をつけて、あの子によろしくと言って笑った領主さま、騎士さまや同僚、友人、気になってた花屋の女の子。あのなつかしいひとたちが もうどこにも存在しないんだと実感した時、ひとりでみっともなく泣いた。
 やがておれは結婚した。やたら大きい声でよく笑うのと料理がうまいのだけが取り柄の女さ。子供もいる。雨風しのげる家も出来た。 おれはようやく言いそびれた「只今」を言うことができたのさ。



 随分長く話しちまったな。いや、金はおれが出すよ。せめてものお礼だ。なんであんたにこんな話をしたかって? あんたがぴかぴかの金色の髪をしているからさ。







ある酒場にて

07/09/10