一緒に来てくれないか、とシトロンが言いました。
 どこに、と私が尋ねると
 俺の初恋を埋葬しに行くんだ、と彼は答えました。






 シトロンが地図に印を付けたのは、ダアトから遠く離れたオールドラントの果てとでも言うべき場所でした。
 あの頃は交通網が整っていなかったから、徒歩で行くしかなかったが、今はロレーヌという町まで竜車が出ているから、それに乗って行くつもりだということでした。
 あの頃、というのが何時のことなのか私は知りません。
 彼の堅めな髪の房の感触も、男の人にしては細い手首も、小さな古傷が付いた髪の生え際も、脂肪が少なくてぼこっと浮き出て 見える肩甲骨も、シトロンの持っているものは何度指を折っても足りないくらいに知っていますが、シトロンの過去については断片的な知識しかありません。
 彼は普段過去のことを話しません。
 けれど、彼が幼馴染の方たちとお話しているとき、時折私の知らない名前が現れます。
 きっと、その人はシトロンが好きだった人なのではないかと 思います。何故って、シトロンはその人のことを、とても優しげな顔をして話すからです。あいつ、とかあの野郎、とかちょっと乱暴な口調で、それはきっと昔のシトロンの話し方で、 シトロンは笑いながらその名前の人のことを話します。

 でも、シトロンが笑えるようになったのはその時間が過去になったからだと思います。
 シトロンは、竜車の窓枠に頬杖をついてロレーヌのブドウ畑を見ています。その横顔は、私が初め て見る表情でした。シトロンの青い瞳に映っているのは、きっと目の前のブドウ畑だけではなくて、かつて今であった時なのでしょう。私が知らない誰かと過ごした日々が過去になる までに、シトロンはいくつの時をそうして過ごしてきたのでしょう。手を離してしまった時間が流れ過ぎていくのを、ただ見ているだけの哀しい目をして。
 竜車がロレーヌの町に到着すると、ここからは歩きだとシトロンは言いました。長い時間竜車に揺られて疲れたろうと先に降りたシトロンの手が、私に差し出されました。
 少し皺の入った、シトロンの手。

 あなたは誰とこの手を握ったの?あなたは誰にこの手を差し出したの?あなたが本当に手を取りたかったのは、誰なの?

 シトロンは、スプーン一掬いだけの私の躊躇いに、哀しげに微笑みました。シトロンの手を取って、私は数時間ぶりの地面に降り立ちました。






「古い友達が、言っていたんだ」



 私とシトロンは、ロレーヌの町の外れまでやってきました。海が見えます。白い岸壁の下の下の方に、ばしゃあん、ばしゃあんと波がぶつかっては去っていきます。



「俺たちはみな、死んで世界に還るんだと。皆音になって、世界に溶けていくんだと。世界になるんだ、と。…なら、俺の初恋はどうだろう?俺の初恋は、死んでしまったら何になるん だろう。俺の中に居座ってるあいつの寄こした空白は、どこへ行けばいいんだろう」



 ここからは、水平線がきれいに見えます。シトロンよりも淡い色の赤が、ぴかぴか光って、私とシトロンを照らしています。
 シトロンが懐からなにか取り出しました。赤い光を鋭く反射して光るそれは、ひと振りの短剣でした。さあっと汗が流れて、私は反射的にシトロン、と叫びました。でも、身体は動き ませんでした。なぜか分からないけど、シトロンの掲げた刃が、きれいだとただ思いました。



 シトロンは、首に巻いたマフラーの先を短剣で切り裂きました。



 それは、ひとつの儀式だったのでしょう。
 シトロンは足元の土をちょっと掘り返して、自分から切り離したマフラーの切れ端を置いて、丁寧に土をかけました。
 そのマフラーが、シトロンの父の形見であることを私は知っていました。先っぽを失くしたマフラーは、いつもと変わらずにゆらゆら風に吹かれています。彼の一部を土の中に残して。
 シトロンは、立ち上がります。振り向いて、彼は今から君が一番だと笑いました。


初恋のためのレクイエム

10/05/04