「ワールド・エンドは元々ギャング組織エル・ド・ラードの息のかかった、麻薬栽培を生業とする小村だった。だが、リコやチェシャー・キャットが女神と呼んでいた、ファイゼルンという女が、エル・ド・ラードを乗っ取り新しくホテル・ウトフォスが立ち上がると、ファイゼルンはエル・ド・ラードのやり口を嫌って麻薬を取り扱うのを止めた。すると、ワールド・エンドはたちまち立ち行かなくなった。麻薬取引は既にワールド・エンドの住人にとって欠かせないものになっていたからだ。精神的にも、経済的にもな。ファイゼルンに禁じられてもなおワールド・エンドは細々と麻薬栽培を続けた。貧困に喘いだ村では、人身売買が行われたこともあったらしい。胸糞の悪い話だがな。

 そういうワケで、8年前お前が騒ぎを起こしたときも、教団は早急に手を打てなかった。教団は裏でダアトのギャング組織と手を組んでるからな。奴らの息のかかったところに下手に手を出して、機嫌を損ねたくなかったからだな。で、ファイゼルンに調査依頼が出された。そこから、代々組織と協力関係にあるイェルクシェックのあたしにお鉢が回って来たってこった」

 

 要するに、あたしがお前を拾ったのも、女神様の思し召しってワケ。

 

 竜車の中で向かいに座ったキアンティ・ニコル・イェルクシェックはそう淡々と述べた。また、彼女の話では、のちにワールド・エンドの住民たちは、隣村ロレーヌの住民たちによって埋葬されたという。ワールド・エンドでの決戦の後、目を覚ました時にはチェシャー・キャットの姿はなく、代わりにニコルとシュヴァイツが乗り込んだ竜車がやって来た。身重の体を抱えて竜車を走らせたニコルは、やはり、何と言うか、やさしいのだと、エンドリナは思う。口に出せばまたへそを曲げてしまわれると思うが。

 同じ側の座席の隅っこで、ブリアンが膝を抱えている。窓に軽く頭を凭れさせて、窓の外の北ルグニカ平野を一心に見つめているように見えた。ブリアンの横顔、ばら色の唇はぴったりと閉じられて、特別何の音を生み出すこともない。だが、エンドリナは、ブリアンの唇からやってくる音に出会いたいと思った。もっと、もっと、彼女と話をしたいと。例えば、彼女の首筋から薫るさわやかな芳香のわけだとか。

 ふ、と視線を感じて前を見れば、彫像のような男がこちらを見て口角を持ち上げた。「お前も、随分と人間らしい目をするようになったものだ」。シュヴァイツの手は、ニコルの手を握っている。彼は言った。

 

 

 

「…全ては女神の手の中、か。私たちも含めて、な」

 

 

 

 ガタガタと音を立てて、竜車は行く。鬱蒼とした森を抜けて、港へ向かう。海の向こうのダアトへと、竜車は行く。

 帰ろう。

 エンドリナは、胸の中で呟いて、目を閉じる。

 帰ろう。

 

きみに、会いたいよ。

 

 

 

 

 

 

「ははっ…ふくく…っ…はははっ」

 

 ダアトの摩天楼の上に彼女はいた。チェシャー・キャット、『踊り狂う引き金(クレイジー・トリガー)』と呼ばれた女。そして、ファルメリア・バロンであった女。

 

「これが、わたしの、悲劇で、喜劇の、終わりか…これが…」

 

 女は満身創痍である。妙齢の女は今や随分と老けこんだように見えた。美しい金髪も、金瞳も、潤いを失って乾きを見せた。

 何が自分をここまで連れてきたのか、彼女は自分でも理解できなかった。幕は既に引かれてしまったのに。あの世界の果てで。あの子たちの手で。

 あの子どもたちの姿が目に焼き付いていた。守るように、守られるように、寄り添い合った影。前だけを見つめていたふたつの光。

 あれこそが、生きるということだ。

 あれこそが、人間として生きるということだ。

 もう、女は自分を動かすものが何なのか分からなかった。殺されて、殺して、殺して、殺して、殺されて、殺して、殺して、殺して、殺されて、殺されて、殺されて。女はもう死んでいる。なのに、歩き続けている。どうして、どうして、どうして。

 どうして、わたしは。

 

 

 

「あっ」

 

 

 

 女の頬を切り裂く、銃弾。

 彼女は振り返る。新円を描く月。その下に、まるで月から現れたかのように、影があった。

 女は理解する。彼女が生かされた意味、死してなお歩き続ける意味、今ここに、存在する意味を。チェシャー・キャットはライフルを構える。そして、呟いた。

 

 

 

 

 

「そうね。これで、終わりにしましょう…ネリー」

 

 

 

 カンパネッラ・リコ、『女神の眼球(ルヴィ・アイ)』がライフルを握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 僕はもうずっと、夢を見続けている。18年前、みんなが死んだ。みんなが死んだ。でも、それは夢なんだと思った。だから、夢から覚めれば、みんながまた戻ってくると思った。リーダーも、ブロウやヴァンのおじちゃんも、ロックのじーちゃんも、プリルもプレルも、チェシーも、アリも、みんな、みんな。

 女神さまがいなくなっちゃったから、僕は命令を待ってるだけの人形だった。もう、ずっと、ずっと。目を閉じて、夢を見ているんだ。夢から覚めたいと、願い続けているんだ。

 

 ねえ、女神様。

 目を開けたとき、そこにあなたはいてくれますか。

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりにふたつの光がきらめいた。ふたりは、お互いの首に下がったドッグタグ目がけて引き金を引いた。ふたつの影が、同時に倒れる。そうして、全てが終わった。

 

 カンパネッラはのっそりと立ち上がった。生きている。撃ち抜かれた筈の左胸を見る。首から下げた鎖を取り上げる。弾丸の形の穴が開いた、ドッグタグ。僕らのチームが全員で揃えたドッグタグ、そして、

 ぽろり、と弾丸が落ちてきた。弾丸を止めたのは、ドッグタグと一緒に鎖に通した懐中時計だった。育て親であるファイゼルンから、何時だったか与えられたものだった。ひしゃげた時計盤の上で、時計の針はもう動いてはいない。カンパネッラは懐中時計を胸の中で抱きしめた。いとおしむようにして、頬に押し付ける。

 カンパネッラの頬を、涙が伝った。

 月が、やけに綺麗に見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そうですか。ロックは死にましたか」

 

 報告を受けて、ピエトロ・エレは静かに言った。老衰だったという。寝台の上で、何に脅かされることもなく。

 ピエトロは目を閉じる。

 先に眠りについた先人の安らぎを祈るように。

 ふたたび彼が目を開けた時、ピエトロはすでに彼のものであるダアトのある摩天楼の最上階にいた。傍らには、ごつごつしたサングラスをかけた少女。少女には重々しい色のサングラスは似合わないように思われた。しかし、いずれは彼女に馴染んでいくだろう。ピエトロも同じだ。背伸びをしたようなスーツも、ままごとの延長のようなこのボスの座をあらわす豪奢なイスに座る自分も。

 

「これから、忙しくなるよ。覚悟はいい?シガレット」

「それ、自分に聞きますか?」

 

 だから今は、これでいい。これでいいのだ。

 部屋の外では、新たなボスへの面会を待つ何人もの幹部たちがいる。さて、精々舐められないように飛ばして行こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…女神様?」

 

 うつ伏せに倒れた血まみれの男の向こうに、ひかりが立っていた。きんいろのひかり。右手に『踊り狂う引き金』を伴って。少女の瞳が捉えたひかりは、少しだけ悲しげに揺らめいた。行くわよ、と踵を返して、もう振り返らない。それを、傍らの女が追っていく。

 少女は、頭から血を浴びたまま、長い間そこに立ちすくんでいた。女神が去っていった場所、そこには扉がある。今はもう死んでしまった男がやってくるための扉。いつも、閉じたままだった扉。

 この扉の向こうには、何があるだろう?そこに、女神がいるのだろうか。女神が歩む世界があるのだろうか。少女は歩きだしていた。扉に手をかけて、開け放つ。

「ごきげんよう、」 

 かくして、扉は開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブリアン、その…香水、か何か、つけているのか?とても、いい匂いがする」

「レモネード?好みなの?趣味悪い。最悪。寄らないで」

「…このアマ…」

 

Skyline