何処なのだろう、此処は。
ふと、ゆったりと覚醒を始めた頭で考える。
ぼんやりとした風景が目の前にある。 敷き詰められた床石、近くか遠くかも分からない曖昧な輪郭を描く噴水、慈愛の笑みを浮かべる聖女の石像。その全てがうつくしい白の大理石で形作られているが、その色は目を焼くように赤く。
ああ、綺麗な夕焼けだな、とティアは思った。
今わたしは何処にいるのだろうか。いや、今までわたしは何処にいた?ティアの記憶は、目の前の風景のようにぼんやりとしか像を成さなかった。
わたしは誰といた?誰がわたしの傍に居た?わたしの記憶を手繰れば、真っ先に兄の姿が思い浮かんだ。 兄さん。遠く離れようともいつも繋がっているつもりでいた兄の姿が遠い。にいさん。あなたは何処に居るの?わたしは何処にいるのかしら。
―――響くうた。
空を焼き尽くす夕陽から視線を外したとき、何故先程気づかなかったのか、噴水に誰かが座っているのが見えた。
うたが聞こえる。譜力の乗せられることのないただのうた。簡単なメロディ。ラララ、美しい歌声。子供をあやすような。やさしいうた。
「あなたはだれ?」
唐突に、旋律が止まる。わたしに話し掛けられたのだと気付いたとき、一瞬自分を恥じた。彼女の歌を止めたのはわたしだった。
彼女―――そう、彼女は、夕焼けに負けないくらい鮮やかな深い赤髪をしていた。年齢はティアより少し上くらいだろうか。エメラルドを嵌め込んだ瞳を長い睫が飾る。
「わたし、は…ティア」
答えが遅れる。わたしの名前だった筈なのに、靄のかかった記憶から引き出すのが困難だった。
そう、ティア、と彼女は笑った。「あなたはティアね、」確認するように。彼女はついさっきまでメロディを紡いだ声でわたしの名前、を口にした。
「そう、ティア」
彼女は座ったまま、もう一度わたしの名前を呼んだ。
鈴を鳴らすような、澄んだ声。
「此処はあなたが居るべき場所ではないわ」
彼女は変わらぬ声で告げた。
遠くから声が聞こえる。子供たちの声。一日中遊びまわってそれでも疲れた様子をみせない、元気な声だ。
誰かがわたしたちに向けて手を振っている。ぴかぴかの金の髪をしたちいさな子供の手を引いて、少年が手を振る。
わたしたちを、呼んでいる。
「お帰りなさい、メシュティアリカ。あなたが生きる場所に」
やさしい声。何時か聞いた。遠い遠い昔に聞いたこえが口にする。お帰りなさいメシュティアリカ。歌うように言う。お帰りなさい。あなたの生きる場所に。
ざあ、と、影が溶ける。敷き詰められた床石、近くか遠くかも分からない曖昧な輪郭を描く噴水、慈愛の笑みを浮かべる聖女の石像が音を立てて溶けていく。急に確かになった輪郭。なつかしい匂いがする。此処はわたしを生んだ島。わたしの島。
「お帰りなさい、」
ほんとうの覚醒を迎える数瞬前、なつかしい歌声を聞いた気がした。
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