ジェントリィ・ウィープス

 たすけてここから出していやだこわいよごめんなさい父さん母さんたすけてここどこなのくらいよこわいよいやだよいやだよ助けて。 何を叫んでも答えるものはいなくて暗闇だけが其処に転がっていた。太陽の恩恵の届かない締め切った倉庫で時の感覚はすぐに消えた。 何日間か分かりもしないが食物を摂取することがなかったせいか、否、それもあるだろうが、過剰な孤独と暗闇が彼の体から肉を削いで いた。硬く閉ざされた鉄製の扉を引っかき続けたせいで爪は残らず剥がれ、白い骨さえ覗いたが、少年には見えなかったし気になること でもなかった。普通なら重傷であろうその傷を覆っていたのは削っても削ってもぴきりぴきりと根を生やしてくる氷だった。凍結が出血 を止めていた。おそらくただの氷だったなら凍傷にでもなるのだろうがその氷は違った。氷は少年自身の皮膚であるかのように少年を 守っていた。少年はそんなことを知る由もなかったので、凍りついた指先で扉を引っかき続けた。喉がからからに枯れても叫び続けた。 たすけてくれと。この扉の向こうにあたたかい景色がまっていてくれるのだと信じていた。
 唐突に、外側から錠の外れる音が聞こえた。ああきてくれた。たすけにきてくれたんだ。少年は跳ね起きて彼らを待った。たくさんの 足音と声が聞こえた。
 開け放たれたとびら。暗闇に慣れた目がいたい。年老いた村長が立っている。近くに母さんがいる。父さんも。見れば村の大人たちの ほとんどがそこにいた。それぞれが鍬や鎌を持っていて、これから畑仕事にでも行くかのようだった。
「村の皆で決めたのだ、」
 村長がそう言った。村長も、父さんも母さんも、皆のっぺらぼうのような顔をしていた。

「お前を始末することにした、     」

 家畜を屠殺するときのような目をして村長が言った。

トレオール・バロン



ダイバー・ダウン

 祝福されることが必要だと彼の人は言う。結婚には、祝福が必要だ。ならば自分は生涯結婚なんてできないんだろうとジョカは思う。 誰がこの人でなしに祝福を与えてくれるのだろう、そう言葉通りの意味、ジョカは人ではない。だから人としてあろうと願うことさえ 許されないのだとジョカは知っている。生まれたときから知っている。
 そんな概念をそこのけとばかりに蹴飛ばしたのはアンジェリカという一人の女だった。彼女が最初に与えたのはジョカフェリテ、 『幸せに生きろ』という願い。あるがまま幸せに生きろと彼女は言う。偉人にあやかってつけたのだと笑う彼女はジョカにとって 祝福であり続けるのだろう。

「アンジェさん、嫁に来て下さいよー」
「駄ー目、まだまだ家庭に入る訳にはいかないもの」

 だから彼女は早く結婚したら良いと思う。
 天使をこの手に抱きとめることができたらどんなに幸福だったろう、いつもの応酬をしてジョカは彼女に笑いかけた。

ジョカとアンジェ



最悪の男の最高の愛

「ファイ、これ読んでー」  カンパネッラが手にした絵本に背後でロックが噴き出した。緊迫した空気の中で、何故だか馬鹿馬鹿しくなりおとなしく絵本を手にとって やる。昔々ある所に、十中八九そんな文句で始まるだろう絵本の書き出しの他例に洩れない文の羅列を音にするが事務所内の空気は 変わりそうになかった。
 今年で10を数えるカンパネッラは喜ばしいことに友達ができた友達ができたと任務から帰り机に突っ伏す前にまくし立てる ようになった。
 絵本などという文化的な代物を買い求めるようにせがむ程この子は『子供』をやっていなかったのだがどうやらその友達とやらに借りて きたらしい。普段はお優しい神父が臨場感たっぷりに読み上げてやるものだが、今日に限ってヴァイブルは3日間越しの任務明けで寝台に ダイブしてから一日出てこない。朝食だ昼食だと言ってもキスしても蹴っても起きないとのことでチェシャーの機嫌は悪くなる一方、 蹴り上げたソファーには運悪くブロウが珈琲を手に一服としたところだった。我がチームが誇る副官が愛飲するブラックを一杯駄目にした ことにはただでさえ険しい顔に新たな皺を加えざるをおえない様子である。機嫌が上向きの時は何事にも寛容で神父をして麗しき女神 と言わしめるが厄介なことにその逆の時点での彼女程御しにくいものはない。今日の天気から家具の置き場所、双子が拾ってきた顔の 取れたユリアの時計の秒針の鈍さから何から気に触れたものに文句を付け出す。それもケーキを作るときの砂糖の量程の嫌味を主成分 としてだ。いい加減矯正した方がよいかと思うのだがこの職場で彼女を矯正可能な人類など存在していない。天災か何かと同じだ、 過ぎるのを待つのが一番だ。普段職場一の仏頂面と名高い副官もそれを十分に理解しているのだろう、石のような顔をして何年使っている か分からないボロ雑巾で床に落下したブラックの残滓を拭っている。彼の堪忍袋の広大さに賞賛を送りたい。
「そして、彼らは幸せに過ごしましたとさ」
 これはまたありがちな物語を締めくくる言葉である。だがこの職場の一日はその言葉では終わらないようだ。散髪屋のポールの必要性に 文句を言い始めた所でとうとう副官が雑巾を投げた。やれやれだ。

TU、ファイと面々



子供は風の子

「…ごめん」
「何度も謝らなくてもいいよ。私に謝ることではないしね」
「ごめん」
 カンパネッラは視線を落としたまま同じ言葉を反芻する。一回、二回三回と念入りに包帯を巻いて処置は完了した。常人より幾分か 風変わりな職を生業とする神父らは今やちょっとした企業には当たり前に備えられている労災がなく、医者にかかるには自費でしかも 法外な値を払った上でなら治療を受けることが出来るが、自分たちの経済状況からして頻繁に利用できるものではない。神父はある程度の 治療なら心得があるし、それにカンパネッラが負ったのはなんということはない、ただの捻挫だ。数少ない一般人の協力者である トラディス医務官に頼る必要もない。
 問題は捻挫を負ったのがカンパネッラの利き手である右手だということだ。職業柄手が使えないということは無能を意味する。 チームのスナイパーであり正確無比な操作を必要とするカンパネッラなら尚の事である。
「ファイはなんて?」
 カンパネッラの表情は何時もの様に読めず眠たげに目蓋を半分下げているだけだったが、矢張り自分の落ち度と思っているらしい。 ヴァイブルはカンパネッラが怪我を負ったのが友人と遊んでいる時に木から落ちたと言うのを聞いていた。少年の友人らについて神父は 多くを知らなかったが、おそらくカンパネッラは酷く叱られるのではないかと恐れているのだろう。任務に支障が出るのなら付き合いを 切れと言われるのではないかと。
 神父はできるだけ少年を安心させるように、リーダーが残した言葉を伝えた。
「子供は遊ぶのが仕事、ルヴィ、君は子供だから。君の仕事は遊戯と任務だ。存分に遊んだらいいよ、と言っていたよ」
 カンパネッラが顔を上げた。ほんの少し瞼を開けて、ごめん、ありがと、と呟く。でも、危ないことはしないこと。いいね?と念を押すと、 うん、と返事をして、徐々に目蓋が下りた。少年が心から安堵したのが分かった。間も無くルヴィ・アイが完全に見えなくなった。  何時もの様に、少年の寝息が暗殺者らの事務所のBGMになった。

TU、ネッラとヴァイブル



Assault

 それは暗闇に光る銀の猫の瞳のような。
 それは風に遊ばれるパーマネント・ウェーブのような。
 それはからっぽのガン・ケースのような。
 それは傷を癒す緑の光のような。
 シュヴァイツ・フォイエルは己より優れた弟に劣等感を抱きながらも、ひたすらに頂点を目指す誇り高き少年だった。
 キアンティ・ニコル・イェルクシェックは己の美しい巻き毛の赤をこよなく好み、いくつか年上の少年らの中で輝きを放つ少女だった。
 カンパネッラ・リコ=ルヴィは生まれ持ったかのように手に馴染む銃を置いて現の野原を駆け回る少年だった。
 プラティナ・トラディスは白い大地に想いを馳せながら、弟妹にも等しい友人を母のように慈しむ少年だった。

 それはステンドグラスから差す光の中のような。
 何もかもが輝いた。
 二度と手には戻らぬ。
 二度と訪れはせぬ。
 黄金の時代。

 ちっぽけな彼らの、輝く軌跡。
 皆燃えて消えた。

かつての幼馴染について