世界は愛でできている

「エスト、大好きだからね」
 プラティノ・サリアは幼少時代寝入る前、枕元のライトを消す男に向かってしばしばそう口にした。それは母親が子供に言い聞かせる ような響きをもって男の耳朶に響いていた。年齢も容姿も少女から女性と呼ばれるに相応しい形態へと成長した彼女はもう男と 同じ部屋にはいない。近頃、広くなった部屋で少女の声を思い出す。これが娘を嫁にやった親の感覚なのかもしれない、と冗談交じりに 思う。手渡しの愛のことばを反芻し続けている。
 47時間ぶりの日光。爽快感、と呼ぶに相応しいであろう感覚。人間は太陽なくして生きられぬのだと改めて実感する。男は役職柄日常的に 太陽の名を冠する友人とたびたび会話するが、彼も同じだと思う。きっと彼との会話も男を人間として存在させるに至る要素なのかも しれない。
 空、そら、そら。
 久方ぶりのセルリアン・ブルーはひとりの少女の髪色を思い出させる。プラティノ・サリアの遺伝子を受け継ぐその少女は二羽の雲雀から 名前を与えられた。植物の翼。その名は花でできた両羽を背にする伝承のセイレーンを思わせる。歌い続けなければその両羽は瞬く間に 朽ち果てるという。皮肉にもセイレーンの如く、守られぬ限り少女は羽のように儚く、弱い。しかしそれでも絶望しない彼女は母親と よく似ていた。
 彼女の青はプラティノのものとも、ましてや父親のものでもない。正しく言えば、プラティノになった赤ん坊とその父親と同じ色だ。 だから彼女の髪を撫ぜてやる時男は過去を思い出す。過去という存在は男にとって近寄るだけで傷を負う程に男を追い詰めるが、不思議と 彼女には触れることができた。今日外にでてきたのも、夢想の中で彼を見たからだ。あの白亜の島が終わってしまってから、彼を夢見る ことなど皆無だったというのに。
 年月が男を変えたのだろうか。
 ―――いや、否。男は何処も変わってなどいない。
 気付いただけなのだ。
 母親が子供に言い聞かせるように。ずっと昔からあの子は愛を囁いてくれていた。それに気付いただけだ。

「…恐れることは、何もない」

 エスト―――プラティナ・トラディスはくしゃくしゃになった白衣で、セルリアン・ブルーに手を伸ばした。同じ色をした男を思い出す。 あなたの遺伝子を抱く子たちがわたしを愛してくれた。そしてあなたも。神でもなんでもないこの手は届かぬなどと理解している。それ でも夢をみたって構いやしないだろう。手を伸ばす。

「さよなら ありがとう 愛してる 愛してた、」

 世界が人間を生かしているのならば、世界はきっと愛でできているのだ。愛が男を生かしている。男もまた世界の一部であるのなら、 男も同じものでできているのだろうか。それはきっと素晴らしいことだ。幸福な、ことだ。

 空が綺麗だ。きっと愛という感情は空と同じ色をしている。嗚呼、愛はこんなにも心地よい。

エスト



トーキング・ウィズ・デッドマン

 金髪はきらいだ。彼と、あいつがそうだったから。
 蒼いめもきらいだ。彼とあいつがそうだったから。
 目玉を上にあげなきゃいけないやつもきらいだ。彼とあいつがそうだったから。
 それは彼を思い出す。
 それはあいつを思い出す。

「やあ、私の『ディライラ』」

 彼は音もなく『ディライラ』の背後に立っている。
 彼は足音を立てない。
 それは彼の生業故でもあったし、彼が静寂を好むからでもあった。
 彼は『ディライラ』の目線の向こうを眺めた。

「彼は金髪なのかい?」
「いいえ」
「彼は蒼い瞳をしているのかい?」
「いいえ」
「背は君より高いようだがねぇ」
「…」

 『ディライラ』は彼を見ることはない。
 彼がそこにいることを『ディライラ』は知っている。
 それで十分だった。

「君が目一杯絶望することを祈っているよ、君の苦悶より優れた美酒はない」

 酒の一滴も飲めなくなった癖に、良く言う。
 彼は現れたときと同じく、音もなく消えうせた。

 金髪と、蒼い瞳と、それから目玉を上にあげなきゃいけないやつが、すきだ。
 彼とおなじだから。
 彼とおなじだから。

ブリアン(→?)とシャンドル



あおの揺り籠

 …あー…すんません、また『寝て』ました?…そんな顔しないで下さいよ、おれ泣いちゃいますよー。…ほら、そんな泣きそうな顔 しないで下さい。嘘っだー泣きそうですよ。
 …あいて。いや痛くねぇっスけど。癖ですよ癖。だから気にしないで…だからって言って殴らないで下さいよおれの美しい顔が 歪むじゃないっスか。はっは、嘘ですけど。
 ねぇナナさん、おれが消えたらどうしま…いって。だからー喋る前に殴る癖やめた方がいいですって…アンジェさんも言ってたじゃない っスか。トレスさんに見られたらまた握られますよ。…ああそれよりも、取り合えず退いて貰えます?こんなかっこしてたら何してんだ よ、とか言われますよー。…っだから、いてぇスって。いや痛くねぇ…って言ったらまた殴るでしょ。傷つきますよーおれでも。
 そう、本題なんスけど…殴らないで聞いて下さいよ。…だからー違うよ、ナナさん、おれ死ぬんじゃない。消えるんです。…って。 そこは明確な違いなんで。
 ね、どうします?

 …ねぇ、黙っちゃいましたね。どーするんですかおれがいなくなったら。おれみたいに丈夫な人います?あーまあ丈夫って言えばたくさん いるか。でもトレスさんとか、クルトさんなんか殴れないでしょ。クルトさんは女性ですし。おんなのこは大切にしないと駄目っスよ。 ごはんだけは、アンジェさんが食わせてくれますから。おれがいなくなっても面倒みてくれますよアンジェさんは。アンジェさんです からねぇ。
 ね、ナナさん。おれナナさんより先にいなくなると思います。でもナナさんは、ナナさんのままじゃなきゃ駄目ですよ。ナナさんは ナナさんで、生きなきゃ駄目です。ね、約束。ですよ。
 ああ、でも、すぐ人殴るのは、やめた方がいいっスね。
 それまではおれ、ナナさんの為に生きてあげますよ。



 ナナさん?…ああ、泣かないで、泣かないで下さいよ。ほら、いい子いい子。…いって、だから、すぐに殴るのやめようって言った でしょ?

ジョカとナナさん



bye bye my sweet darlin!

 三日は消えない頬の痣、
 強く掴まれすぎた手首の鈍い痛み、
 伸びた服の裾、
 ふざけて飛ばしたケチャップの染み、
 瑠璃色をした空、
 優しくなんてない口付け、
 甘い痛みと甘い恋。
 そいつはおれが寄越したものもそいつがおれに寄越したものも全部置いていきやがった。レプリカって、服まで一緒に消えるもんなんだ、 とどこか冷静な頭に過ぎった。…いや、ジョカはおれのいちばんの、なにかを、持っていった。ジョカの痕跡が俺の中でぐるぐる唸って いて、腹がねじれそうだった。なんだよ、ふざけんな。ふざけんじゃねぇ。あいつが目の前に居たなら百回ぶん殴ってやりたい位に イラつく、筈なのに、現実の俺は立ちすくんでいるだけだった。殴りたくてもあいつはもういなかった。何も残さず消えやがった。 俺を置いて。俺を置いて!殴りたくてしょうがない、のに、ジョカはおらず、手頃なゴミ箱さえ目に入らなかった。空気はなんで色も形も ないんだろうか。空気がそう青色でもしていてこの手に掴めるならぶん殴りたかった。だってジョカは空気に溶けていったのだから。

ナナさん(→ジョカ)



あさきゆめみし

「やぁ、『ディライラ』」
「…もう出てくるな、」
「手厳しいね」
「あんたはもう死んでいる」
「そうかい」
「…」
「どうしたね、『ディライラ』」
「あんたにとって、わたしは何だったの」
「…そうだね、私にとっては可愛いペットであり、愛玩物であり、娘であり、…」
「…」
「恋人だった」
「…わたしは、あんたが好きだったのかもしれない」
「…そうかい。
私も、愛していたよ」
「…わたしも、」

ブリアンとシャンドル