手を伸ばして10秒後には元の位置

 俺は職務に真面目な事務官であって、休憩時間を使って師団名簿を引っ張り出しているのはプライバシーの侵害を目的としてはいない。 興味。単に興味だ。
「カイト。ファミリー・ネームは未記入。直轄の上司はトロトゥス・キュィヴル…」

 目的のページには、つい1・2時間前に食堂で見た顔。年齢を見て驚いた。27だったのか。書類によると、彼は驚くことにフランベルより 6つ年上である。見えないぞ、あれは。
 人形士の家の生まれ。という記述を見て、俺はふうん、と足を組んだ。伺えた上品さは名のある家の生まれだからだろうか。とはいっても、 ファミリーネームを名乗れないのはそれなりに事情があるのだろう。この師団には何故だかそういう人間が多い。俺を含めて、だが。 はは、自虐。
 はっきり言って俺は育ちが良くない。ストレートな表現をするなら最悪。赤ワインは飲んだこと無いけど自分の血は地べたから啜ったこと がある。初めて抱きしめられた相手は母親じゃなくて脂ぎったどっかのおっさん。お友達は靴磨きとギャングもどき。そんな感じ。

「…さみしいって、何だろうなぁ」

 フランベルは誰にも届けるつもりのない声で呟いて、椅子の背凭れに体重をかける。この椅子は今の仕事を初めたときからの相棒だが、 初めから中古品だったせいかちょっと頼るとギシギシ五月蝿い。お前も誇り高き神託の盾騎士団の備品だったら、ちょっとは粘れよな。 思いつつ、ちょっと体勢を改めて、こちらから労わってやることも忘れない。
 寂しさは鳴る。
 浮かんだフレーズがどこから発生したか、探ろうとして…思い当たる。元より俺が読みものをした場所なんてひとつしかない。書物の タイトルは思い出せないが、フランベルの頭のなかでその言葉自体が鈴が鳴るように何度も揺れる。さみしい、さみしい、さみしいんだ。 名簿の中に並んでいるカイト氏を指でなぞる。その脳内に、その胸に、きっと寂しさが鳴っている。
 俺はその音が聞こえないように老いた背凭れを酷使する。ギシギシ、ギシギシ。アア椅子の悲鳴が聞こえてくるようだ。それともこれは 俺の悲鳴かァ?

 ばったん。フランベルは椅子ごと後ろに倒れこんだ。哀れ旧き時代を生きた椅子殿はご臨終であろう。彼がクッションとして働いたので 致命傷を負うことなく床ににダイブしたようだ。でも背中が痛い。すんごく痛い。同時に休憩時間終了の合図。ああやっぱり俺って最悪。

カイトさんへ、フランベル(→カノンさん)



バイバイセンキュー、君の旅路を祝って

 ジョカは暗闇を歩いていた。足元を照らす明かりもなく、道標さえありはしなかったが、不思議と足取りは軽かった。1歩、1歩、また1歩。 リズムを刻むように。歌うように。歌うように。
 泣き声が聞こえた。
 ジョカは泣き声の聞こえる方に歩を進める。黒髪のこどもがそこにいた。膝を抱えて泣き声を上げるこどもが懐かしいものに思えた。
「どうしたんスか」
 ジョカにはそのこどもが誰か分からない。こどもは顔を上げて、赤くした目をジョカにやった。
「ここには誰もいないんです」
 不思議だった。「おれがいるじゃないですか」ジョカの発言が聞こえなかったかのように、「わたしは一人なんです」とこどもは続けた。 「誰もいないんです」「誰も帰ってこない」「誰も迎えにこない」「ここがわたしの望んだ世界なのに」「わたしは」
「わたしは1人なんです」
 それこそ子供のようにこどもは咽び泣いた。それは、孤独だった。それは、慟哭だった。自分と同じものがそこで泣いていた。ジョカは ひどく胸が痛んだ。しかし、ジョカはこどもの願いを知っていた。知っていた。
「あなたは」こどもは目を上げた。「あなたは、生きたいと言ったでしょう。あなたが出会ったひとたちは、あなたを置いて行くような ひとたちですか」
「…生きてください。お願いしますから。次に生まれてくるときは、ね、きっと一緒に遊ぶっスよ」
 ベロマスカは泣き腫らした目をして立ち上がった。小さな指先がジョカの向こうを指している。「…行きなさい、」ああ、あれは光だ。 望んで止まない光だ。
「あなたはまだ生きなければ」

 目を開けて一番に、一番の相棒がいた。なんか幸せっスねそういうの。あは。「ジョカっ」ジョカが笑うと、ヌエは泣きそうな顔をして ジョカを呼んだ。そんな顔、しないで下さいよ、ヌエさん。戦いは終わったんだ。

(ここにいていーよって分かったから、ね、ここで生きていくよ)

ジョカとベロ+ヌエさん



神様の届かないところで

 ぼくの一生を後悔しないで生きてきたと言ったら嘘になる。ぼくは弱い人間だから。だけど、間違っていたかと聞かれたら即座にノン、 と答えるよ。ぼくは、ぼくの望むままに生きた。ひとから見ればどんなに滑稽だって構わない。そう思えるくらいには年を取ったんだね、 ぼくも。
 ねえ、一つお願いがあるんだ。
 ぼくの生が尽きてしまったら、
 きみの生が尽きてしまったら、
 次のぼくを待っていてくれないか。
 ぼくはきっときみを見つけるから。
 そうして、今度はずっと、傍にいてくれないか。

 ずっと、ずっと、今までより少しでも長い間、一緒にいよう。

 カノン。
 …カノン。

フランベル(→カノンさん)

09/05/21