「亮」

 

 

 

 それは暗がりから現れた。差しいれるようにスラリと踏み出す脚。無機質な廃ビルの隙間から漏れだすように現れたそれを、丸藤亮は泰然として迎えた。目を焼くような白。己が鎧う漆黒とまったくの対照をなす色を纏い、それは、再び同じ名を呼んだ。

 

 

 

亮」

 

 

 

 天上院吹雪。

 

 この町でただ一人、ヘルカイザーと呼ばれる男をその名で呼ぶ人間。

 

 亮が吹雪の肢体を抱きすくめたのは、一瞬だった。亮の腕は、生贄の竜を抱きかかえるかのように憐れ深く、残酷だった。哀れな竜使いは悲壮にもふるふると瞼を震えさせる。「亮」、と、鳴き声のように親友の名を呼んで、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

「吹雪」

 

 ヘルカイザー亮は、その恐るべき名の片鱗さえ伺えない静かな声でそう呼んだ。かつて、彼がカイザーと呼ばれていた頃と同じ、水面のように穏やかな声だった。
 寝台の上で吹雪が横たわっている。無理矢理にすべてを開かれた身体が覆いひとつもなくそこに晒されていた。吹雪の身体に刻まれたすべてが、亮の激情を受けた証であった。吹雪はその全てをあの純白の内に隠して、あの学び舎に戻っていくのだろうか。今や、自分からすればその実在さえ霞がかったあの場所に。
 それでも、吹雪の寝顔は不思議なほどに穏やかだった。まるで、亮が身を置くような闇とも、かつて吹雪自身も身をやつした闇とも切り離されたような、まったくの無垢そのもの。亮はそれを見下ろす。ただ、静かに、見下ろす。

 

 

 

『亮』

 

 

 

 吹雪が己を呼んだ声を思い出す。吹雪は、度々デュエルアカデミアを抜け出して亮の前に現れた。その度に無体を働いたが、吹雪は懲りずに姿を見せた。何度も、何度も。
 貪るようにその身を汚しても吹雪の心は美しかった。純白の制服に身を包んで現れる吹雪を前にするたび、彼は己の心がどれ程の奈落に落ちぶれたか気付かされた。かつてはこうではなかった。吹雪の放つ光は彼を心地よく照らしてくれた筈だった。それなのに。

 

 

 

吹雪、」

 

 

 

 俺はもう、こんなになってしまったよ。

 

 亮は、ヘルカイザーは、漆黒を纏いホテルの部屋を後にした。背を焼く光を遮るようにして、ドアが閉められた。

 

 

 

 


「亮」

 

 天上院吹雪は寝台の上からヘルカイザーと呼ばれる男の後ろ姿を見ていた。潔いまでの黒を纏ったその背が遠ざかるのを、吹雪は黙って見つめている。それに手を伸ばそうとしたのにどうせ動けやしないのに、愕然とする。

 

 

 

『吹雪』

 

 

 

 亮が己を呼んだ声を思い出す。デュエルアカデミアを卒業し、あの島を後にする亮を、吹雪はただ見送った。やがて亮はその身を落とし、ヘルカイザーとして甦った。
 その身を屈辱と絶望の泥に塗れさせてなお、亮の心は美しかった。アカデミアにいた頃からそうだった。亮はいつだって、誇り高きその背を吹雪に見せていた。今も昔もそれに焦がれるばかりの自分は、君にどんなに醜く映ったろう。

 

 

 

亮、」

 

 

 

 許してくれ、亮。僕はこんなに、浅ましい。

 

No title.

11/09/05