麗しのブリザード・プリンセス

 

「亮」

 

 天上院吹雪は美しい少女だった。

 

 女のくせに、自分のことをボクと呼んだ。
 自分を好いてくれる女性たちのプリンスでいたいのだと彼女は言った。
 黒き竜を従えて、純白を纏いスラリと立つその姿は、眩いばかりに誇り高かった。

 

「ボク、ボクね、」

 

 お姫様になりたいと彼女は言った。
 キミの前でだけはプリンセスでありたいと言った。
 そう寂しげに笑った彼女を抱き寄せてやることさえ、自分はしなかった。

 

 知っていた。
 本当は小さなその肩が震えていたことを。
 彼女自身の奥底に潜む、誰にも伺い知れぬ闇に、怯え苦しんでいたことを。

 

 あの時、彼女を繋ぎとめればよかったのだ。
 肩を抱き、あの秘めやかな唇にくちづけてしまえばよかった。
 彼女の生身の温度を知ることなく、自分は彼女を手放した。

 

 …彼女のいた底知れぬ闇まで、光は届いていたと、彼女は言ったけれど。
 本当は、逆だったのだ。
 彼女は闇においても光を放ち、丸藤亮という人間を照らし続けた。
 なんという輝きだろう。
 なんという煌めきだろう。
 天上院吹雪という存在は、どれだけ丸藤亮という存在を救ったろう。
 牢獄のようなとこしえの闇においても。
 光を放ち。

 

 …ああ!麗しの、ブリザード・プリンセス!

 

亮吹♀



花瓶は割れた

 

 僕のお腹の中には、女の子なら皆持っているものがない。

 

 それが欠けたのがいつだったか、よく思い出せない。もしかしたら、始めから僕の身体から欠けているものだったのかもしれない。あたらしい命を育むための部分を、かみさまがうっかりして造り忘れたのかもしれない。
 だけど、ふとした時に―亮と一緒にいるとき、亮に愛される時、繋がるその時、僕はぼんやりと思うのだ。僕は知っている。今の僕の身体にはないものが、脈打つものに穿たれて、揺さぶられ、がむしゃらに熱を放たれる感覚を。その、これ以上ない程の充足を。女として与えられる、最高の歓びを。
 亮とふたり睦み合っても、どこかぽっかりと穴があいたような空虚を感じた。そのたび、寂しくなって、僕は亮に擦り寄る。そうしながら、すこしへこんだお腹に手をやっていると、亮はちゃんと僕の感じている空虚に気付いて、それを埋めるようにして抱き寄せてくれる。胸に湧き上がるよろこびは計り知れなくても、空白は埋まらない。いつか、どこかで無くなった僕の赤い臓器のあった場所は、きっと今も埋まらないままで、おそろしい闇がくぐもった声を上げている。その闇が、僕をもっとおそろしいところへ連れていく。…この空虚を埋めてくれるならと、僕は闇の誘いを断らない。
 僕は知っている。きっと、亮ではない、誰かのぬくもりを。狂おしい程に美しい愛を。それを一心に受けた、僕のお腹にあったものを。なのに、僕は知らない。思い出せない。割れるように頭が痛む。かつて愛おしく激しい愛を叩きつけられた場所が、かなしく痛む。

 

(…どこにいっちゃったのかな、)

 

 ぼくの、子宮。

 

藤吹♀前提、亮吹♀



人体標本

 

 丸藤亮は、自室のベランダから眼下の人影に向かって呼びかけた。とうに日を跨いだ静やかな夜を乱さぬよう、声を押さえて呼んだ声を彼女はきちんと聞きつけて、やわらかな栗毛をたくわえた頭を持ち上げる。
 「亮」と天上院吹雪は思いがけず顔を合わせた友人に向かって名前を呼んだ。亮に向かって笑いかけたその表情は月光のせいか昼間見るよりもずっと青白く見えて、いっそ不気味なくらいだった。亮は「上がってこい」と言った。吹雪はいつものことでクス、と先程より幾許か太陽の下で見る吹雪に近い笑い方をして、オベリスクブルー男子寮の植木の下までやってきてよじ登る。その幹は亮の部屋のベランダまで伸びていて、これが女子寮の吹雪がしょっちゅう使う侵入経路だった。長い手足でスッスッと幹を伝ってやってくる吹雪は、まるで雪豹のようだと思った。

 

「それで…今日こそボクを抱いてくれる気分になったのかな、亮くゥん?」

 

 風が吹く。風が吹いて、吹雪の長い栗色の髪が靡いて、亮の鼻孔に吹雪の放つ匂いを運んでくる。夢の中にいるように勘違いさせるような、芳しい女の匂い…そして、一瞬で亮を現実に引き戻す、生々しくて新しい男の匂い。
 また、吹雪は誰かに抱かれてきたのだ。それも酷い抱かれ方で。亮はすげなく首を横に振って、怪我をしているだろう、と言った。吹雪は答えずに、笑う。柔肌の下の筋肉が自律的に作り出すような…無機質で、気味が悪い笑みだった。
 見せろ、という亮が言ったのに、吹雪は素直に従った。オベリスクブルー女子、それも特待生の…天上院吹雪だけが着ることを許された制服の上着が、すとんと亮の部屋の床に落ちる。吹雪はそのまま、流れるような動作でアンダーシャツを脱ぎ始める…頭上へまっすぐ伸ばされた右腕が、天を掴むように動いて、シャツの袖をすり抜かせていく…。
 現れた吹雪の裸体は、不気味なほどに白かった。血管だとか内蔵だとかが、そっくりそのまま透けて見えてもおかしくないくらいだった。ブラジャーなしでも左右ともによく整った乳房と、不釣り合いに肉のない胴体…その、奇妙にへこんだ下腹部に、痛々しい殴打のあとが広がっていた。

 

「今日の子は、いささか乱暴でね…服を駄目にしてほしくなくて、ちょっと抵抗したら、このザマさ」

 

 終わってからすこし吐いちゃった、と事もなげに言う吹雪の頬からは肉がごっそりと削げ落ちていて、幽鬼のようだと思う。
 吹雪の裸体は、決して美しくはなかった。不健康で、女性的魅力を感じるものでもなかった。それなのに、吹雪は男を惹きつける。男をその腕で、その胸でその股ぐらで迎え入れ、男の食いものにされる。
 何が吹雪をそんなものにしたのか、亮はもう思い出せない。

 

「氷を」
「やだよ。お腹冷えちゃう」
「なら…どうしたらいい」

 

 どうしなくてもいい、とは吹雪は言わなかった。夜のように黒い瞳がじっと亮を見つめていた。
 吹雪は静かに、唇を開く。

 

「撫でて」

 

 さあっ、と風が吹く。

 

「ボクに触れて、亮」

 

 吹雪の匂いと一緒に、吹雪のちいさく頼りない声が亮の元へやってくる。

 

 


 アンダーシャツに袖を通しなおした吹雪がベッドに潜り込んでくる。吹雪の望んだ通りに、後ろから抱きかかえられるような形で吹雪が背を丸くし、亮は吹雪の腹に手をやった。「亮、あったかいね」と吹雪が意味もなくころころと笑って、亮も「そうか」と無意味な返答をする。
 亮は吹雪の腹を手さぐりで撫でた。アンダーシャツ越しに触れる吹雪の腹は少しへこんでいる。痛みを与えることがないように亮はいささか臆病な手つきで指を滑らせた。くすぐったい、と吹雪が漏らす。痛くはないんだな、と亮はむしろ安堵した。
 長い間そうしていた。亮の胸に後頭部を埋めた吹雪の静かな息遣いだけが亮に聞こえていた。吹雪のほうはきっと、亮の心臓の音が聞こえていただろう。やがて、吹雪の声が聞こえてきた。くぐもった声だった。吹雪は泣いていた。うっ、という呻きの後に、ぐすぐすと鼻をすする音が聞こえてきた。吹雪を後ろから抱きかかえた亮に、吹雪の泣き顔は見えなかった。

 

「どうしてだろうね」

 

 泣き声のなかの呟きは、亮の耳に何故だか妙にはっきりと聞こえた。
 「…ここを、」と吹雪の華奢な指が亮の指に重なり、吹雪の秘められた場所に連れて行かれたとき、亮は震えそうだった。吹雪に招かれて、亮の手が布越しのそこに少しだけ触れる。

 

「ボクのここを、他の男の子のあそこでいっぱい突いてもらうよりも…君にこうやって触れられるほうが、ずっと気持ちいいんだ」

 

 吹雪の手と重ねた亮の手が、吹雪の下腹部に戻される。吹雪の腹。亮でない誰かに無体を働かれ、青黒い痕を残したそこ。…奇妙にへこんだ吹雪の。

 

 啜り泣く吹雪に亮は何をしてやればよかったのだろう。今までの吹雪のどんな男よりも優しく、吹雪を抱いてやればよかったのだろうか。だが、そうしたとして吹雪は満たされなかっただろう。吹雪は自ら自身が犯されることを求めた。酷く抱かれて、傷だらけになることを狂気的に望んでいた。罰されたいのだと吹雪は言った。罪状を刻むように吹雪は己の肌に痕を刻んだ。

 

「嫌だ。男に抱かれるのは、いやだよ…ボクの心はそう言う。でも、身体は…覚えてる。ボクは知っているんだ、ボクをそれまで満たしていたもの…例えボクを手酷く傷つけるくらいでも。でも、思い出せない。思い出せないから、ボクの空虚はずっと埋まらない」

 

 吹雪は己の中の空虚を埋めるように男に抱かれる。
 その度に、吹雪のへこんだ腹の中の空虚が、何かおそろしいもので埋まっていくのを、亮は止められない。

 

 …吹雪。
 誰がお前を、そうさせたんだ。

 

藤吹♀前提、亮と吹♀



トラジデイ

 

「フブキ、そしてリョウ…ボクは常にオマエ達よりも前に進んでやる」

 

 エドとの真夜中のデュエルは、吹雪の敗北に終わった。エドが振り向くことさえせずに投げた言葉を、遠ざかる皮靴の底が鳴らすカツカツという音を聞きながら、吹雪はまだ膝を負ったままだった。言いたい放題言ってくれる、と胸中で悪態をつく。エドの背中はジュニア時代のそれよりずっと大きくて…ずっと遠かった。
 エド・フェニックスは男嫌いの吹雪が好ましいとはいかなくとも平坦に接することのできる男だった。それは、エドが吹雪を女でなくとことんただの決闘者として接していたからだろう、亮が吹雪をそう見るように、なにより対等の友として見るように。
 エドの後ろ姿がデュエル場出入り口のドアの向こうに消えると、吹雪は思考をエドから別のところに移す。あの時…エドのデュエルでのラストターン、【VHEROトリニティー】の攻撃を防ごうとしたあの時だ。吹雪の伏せカードには【大気障壁】があった。それを発動させれば、例え1ターンだけだとしてもエドの攻撃は防げた。そして、次のドローができていたら…できていたとして、エドに勝てたかどうかは分からない。だが、不可解さは残った。突然、身体が動かなくなった、あの感覚は?あの、冷たくて嫌なあの感覚は、何だったのだ…。

 

「…え?」

 

 その瞬間、
 吹雪は、デュエル中に自分を包んだものと同じ感覚を感じた。

 

Mr.…マッケンジー…?」

 

 アメリカ・アカデミア校長、Mr.マッケンジーが吹雪の前にいた。その長躯は空中に浮遊していて、禍々しく闇を放っていた。
 彼から発される、忍び寄るようなおぞましい闇の気配に、吹雪は震えずにおれなかった。「フブキ・テンジョウイン」と男が呼んだとき、吹雪の身体は情けないくらいにビクリと縮み上がった。吹雪は自らを抱きしめてしまいたかった…柔らかいばかりの無防備な女の身体を守りたかった。だが、身体が動かなかった。それは、デュエル中に感じたあの感覚と同じ感覚だった。

 

「エドとのデュエル、楽しませてもらったよ。『女』の身ではあるが…オレの傀儡としてふさわしい!」

 

 Mr.マッケンジーが、吹雪に向かって右腕を掲げる…ズズズ、と音を立てて、吹雪に闇が迫ってくる。吹雪の身体を包むようにやってきた闇は、瞬間、勢いを増して吹雪に襲いかかった。闇は、うなり声をあげながら吹雪を捕らえ…。


 そして、次の瞬間には吹雪の四肢を拘束していた。完全に自由を奪われて、身動きができない。デュエル上の床に磔にされる形になった吹雪は、自分をこんな風にした男を、Mr.マッケンジーを見上げることしかできなかった。その瞳が怯えに染まっていなかったか、吹雪には分からない。
 男が歩いてくる。男が歩を進めるたびに、吹雪の両足を拘束する闇はズ、ズ、と動いた…ゆっくりと、吹雪の両足は、左右に開かれた。吹雪は驚愕の余り、声も出せなかった。Mr.マッケンジーが吹雪の元までやってきた時には、吹雪の両足は、ジーンズが悲鳴を上げるくらいに左右に開き切っていた。
 わなわなと吹雪は唇を震わせた。『男』の前に、吹雪は無様にすべてを晒している…割れ目に沿って曲線を描くタイトなジーンズ。男がその股を割っておびえる吹雪の眼前に迫ったとき、吹雪はいよいよ声にならない悲鳴を上げた。

 

「オレさまの力をもってすれば、オマエたちニンゲンを操ることはたやすい!だが、女となると勝手が違ってな…」

 

 Mr.マッケンジーが、吹雪の制服のボタンを外していく…その手つきがやけに丁寧なのが、吹雪には恐ろしかった。そして、同時に理解する。
 …この男は、目的のための凌辱を楽しもうとしているのだと。

 

「『女』であるオマエを操る為には、こうやってオマエの身体を隅々まで支配することが必要なのだよ…オマエたち女は、新たな生命を作るための余白を残しているからな」

 

 レジィーのようにな、と男が嘲笑うように言ったとき、吹雪は目を見開いた。震える唇が、う、あ、と無意味な音を漏らしたあとに、ようやっと言葉を紡ぐ。「マックにも、同じことを、したのか」と。男は笑った。吹雪のシャツをたくし上げ、その乳房に乱暴に口付けながら。「さあ、昔のことだから覚えていない」。

 

 吹雪は、谷底に落ちていくような心地だった。吹雪の中に、闇が入ってくる…闇が、吹雪の内部を侵食する。とても酷いやり方で、そうする。吹雪は男がのしかかってくるのを感じた…そして、一言、亮、とだけ喘いだ。


Mr.マッケンジー×吹♀(漫画版)



花園の少女たち

 決闘に関することで、女だからって理由で嫌な思いしたことある?と吹雪が聞いた時、「私はある」と亮はすぐさま答えた。「私が決闘を学んだのは山奥の道場で、当時私以外に女の門下生はいなかったから。まあ、男たちとしても女の私がサイバーエンドを継ぐことになったのにいい気はしなかったろう」
 吹雪はふうん、と分かっているのやらいないのやら、頬杖をつく。彼女はしな垂れるようにして視線を巡らせて、藤原、君はどうと聞いた。吹雪がこんな話題を振ってきたはじめから面白くなさそうな顔をしていたその少女は、つんと機嫌を損ねた猫のようにそっぽを向いて「男には興味ない。嫌い」とうそぶいた。「だから知らない」
 嘘だ、と亮は思った。繊細な藤原はきっと男たちが自分をどう見ているか、どう語るかを知っている。この学園で藤原は決闘においても、勉学においても他の追随をも許さない。藤原は内に籠り自らに問いかけ理想を追及するタイプの人間だった。だが、同時に外の人間が自分に向ける感情にひどく敏感な少女でもあった。耳を塞ぐふりをして身体じゅうに穴を開けてでも他というものを待ち受ける、そんな少女なのだ。そんな彼女が向けられた悪意を見落とすことはありえない。
 それを考えれば、吹雪の質問は不躾なものといえるのかもしれなかった。当の吹雪といえば、「ダメだよ、藤原!」と彼女らしいオーバーな、お決まりの反応をしてみせる。藤原が男性に対して奥手な、はっきり言えば嫌悪感を伴う反応を示したときにはいつもそうだ。「藤原は一度くらい、男の子と付き合ってみたらいい。そしたら、分かるよ。男の子ってそんなに、怖いものじゃないんだから」
 そう言う吹雪の横顔はいつだって恋する少女そのもので、それでいて熟女のような色を醸し出した。亮と藤原はまだ持ち合わせていない、これから身につけていくのかも検討がつかないそれを、藤原が男に向けるのと似た目でねめつけているのを、恋に焦がれる吹雪はきっと知らない。吹雪の目にはきっと見えない。
 吹雪は恋多き女だった。寮を問わず、さまざまな男と恋をした。彼女の名に全き似合わぬ熱い炎は、時に教師にも飛び火した。「亮、藤原、聞いて!」と少女たちの胸に飛び込めばふたりの知らない男に焦がれる想いを語り明かし、いずれ破局を迎えては腕の中で泣いた。だが、そう間を空けることなく吹雪は次の意中の相手を見つけてきた。要するに、吹雪は恋愛というものをする気持ちのかたまりなのだと思う。人を愛することを絶えずして、自ら育んだその想いのなかに埋没する。そしてそれから引き剥がされては泣くのだ。

 

―――天上院って、いつもはしまらない顔してるけどアッチのほうは締まりイイよな

 

亮は知っている。吹雪が一度逢瀬を共にした男が彼女をどう語るのかを。どんなに下劣な言葉で亮の友を罵るのかを。本当に吹雪は知らないのだろうか?彼女という愛のかたまりは、自らに向けられるどんな悪意をもやさしく抱きとめてしまうのだろうか?ならば彼女に向ける感情がそれと正反対のものだっても、彼女には同じなのだろうか。同じように、その胸に抱きとめてしまうのだろうか。ならば憎むにしろ愛するにしろ、吹雪にとっては同じなのかもしれない。彼女を深く想うことに変わりはないのだから。

 

「藤原はもっと、恋をするべきだよ」

 

 藤原が恋をするならきっとお前にだ、吹雪。そう、亮は胸の内で呟く。そこに内包される想いが憎しみにせよ、愛にせよ。


三天才、先天性女体化

11/09/05