デュエル・アカデミア島の外れにひっそりと立つ廃寮、かつて特待生寮として使われたこともあるその場所に、遊城十代は懐中電灯を手にして分け入っている。懐中電灯の明かりを注意深く周囲に当てながら、十代は深く息をついた。以前ここを訪れたときは翔、隼人、そして明日香がいた。だが、今の十代はひとりで廃寮の中を彷徨っている。
 何故こんなことになったのか。その訳は、至極単純なことだった。昼間のデュエルの実技授業でゴーストデッキを相手にするはめになった翔が、「昼間のゴースト・モンスターを思い出すと眠れないっス!」と喚いていたのが始まりだ。

 

「翔って、ホント怖がりだな。そういや、前特待生寮に肝試しに行ったときもすっげー怖がってたし」
「じゃあ、アニキは怖くないんスか!?」
「俺は怖くねーよ。あんなトコ、一人でだって行けたぜ」
「あーっ、言ったっスね!じゃあ、今度はアニキ一人で行ってきてよっ!」

 

 興奮した翔と一緒に、さらに輪をかけて怖がりな隼人がそうなんだな、と十代を煽ったため、十代は「ああっ!じゃあ、今夜にでも行って来てやるぜ!」と即答したのだった。こうして十代は、単身"KEEP OUT"と書かれた白テープをくぐったのである。

 

「とにかく…ちゃんと行って来たって証拠、何か持って帰らないとな」

 

 十代は、寂れてはいるがレッド寮よりずっと豪奢な造りのホールを抜けて階段を上がる。らせん状のそれに足をかけながら、十代は以前ここを訪れたときのことを考えていた。あの時のように探検気分にならないのは、翔や隼人がいないからだろうか?帰ろう、帰ろうと喚き、震えながらも十代の後を付いてきたふたりが、あの時の十代を逆に落ち着かせていたことに気付く。自分より怖がっている人がいると、不思議と怖くなくなるというのはよく耳にすることだが、あの時の自分はどうやらそうだったらしい。
 最後の段を踏み越え、2階に出る。外から見た所、2階部分は生徒の個室になっていたようだった。個室ならカードの一枚や二枚、落ちているかもしれない。そう算段をつけた十代は、適当な部屋を探して廊下を進む。そうやって、いくつかドアを通り過ぎたころのことだった。ひとつのドアの前で十代は思い立ち、ドアノブを捻る。

 

「…あれ?」

 

 だが、ドアノブは上手く回らなかった。幾度か試しても、がちゃがちゃと耳障りな音が鳴るだけで変化はない。鍵でもかかっているのだろうか?十代は頭を捻りながらも、その隣のドアに目標を変更することにする。こちらは容易くドアノブが動き、十代はその一室に入室することができた。

 

「やっぱ、長い間使ってないだけあってボロいなあ…」

 

 入室した十代は、一先ず懐中電灯を部屋全体に巡らせる。カーテンに覆われてはいるが、窓があるのが確認できた。足元を照らしながら窓際へ行き、カーテンを引く。
 すると、月明かりの恩恵が部屋全体に行き渡った。振り向いたそこに広がっていたのは、レッド寮というよりブルー寮に近い形の個室。埃を被ってはいるがふかふかとしたダブル・ベッドも、読書灯付きのサイド・テーブルも、レッド寮にはないものだ。アカデミアから選ばれるような生徒たちが生活するのだから、きっとこれぐらいは当然なんだろうな、と十代は一人納得する。
 一通り室内を確認すると、十代は今度は慎重に足元に光を投げかけた。早いところ、カードか何か見つけてレッド寮に帰ろう。少しばかりの恐怖感、大徳寺先生が十代たちにこの寮について語ったときに感じたようなそれを覚えながら、懐中電灯の明かりをベッド脇に当てたときのことだった。


「おっ、カードだ!」

 

 裏向きのカードを見つけた途端、十代はベッド・サイドに駆け寄った。そして、床に落ちたカードを拾い上げる。

 

 そのカードは『黒竜の雛』。

 

 強力カード『真紅眼の黒竜』を呼び出すことができるカードだ。


 この部屋を使っていたのは、『真紅眼』の使い手だったのだろうか?その思いは、胸に湧き上がる安心感にすぐ掻き消されてしまった。「ほら、やっぱり怖かったんじゃないっスか」と呆れる翔の声が聞こえる気がする。そんなことないって、と苦笑して言い返しながら、十代は壁にぽすんと背を預けた。見たか翔、隼人。俺は怖がりなんかじゃないぜ?
 その時、自分の身体が支えを失ってふわりと浮いたことに、十代は驚愕した。

 

「うわ、わわぁッ!?」

 

 どたん、と十代は何が起こったのか分からないまま仰向けになって床に転がる。目を白黒させながら起き上がる。手のひらに敷かれて音を立てたのは十代が背を預けていた壁の破片で、どうやら老朽化した壁が十代のかけた重みで崩れてしまったらしい。
 強かに打ちつけた頭を、いちちっ、と擦りながら、十代の右手は懐中電灯を探す。先程の衝撃で取り落としてしまったらしい。手さぐりで懐中電灯を探す右手は目的の品に触れることなく、瓦礫を掴むばかりだ。何しろ、真っ暗で何も見えやしないのだ…。
 そこで、はたと十代は気付く。ここは、最初に十代が入室しようとした部屋ではないか?鍵が閉まっていたがために、入室を諦めたその部屋の隣で、十代は『黒竜の雛』を見つけた。そして、壁が壊れて十代が入り込んだのは、まさにその部屋なのだ。さあっと背筋が冷たくなって、十代は両手を床について真っ暗な部屋から這い出ようとした。
 …その時、十代は確かに聞いたのだ。

 

「…誰、だい?」

 

 ちいさく、掠れた男の声を。

 

 十代は、両手を床についたまま弾かれたように声の聞こえた方を見やった。ぴったりとカーテンが窓を覆い、隣室からの僅かな灯りだけがその部屋を少しだけ月夜の恩恵に預からせた。十代の目は、次第にその闇に慣れていく。
 ひとつの、影が横たわっている。十代はゆっくりと、わずかに震えながら、それに這い寄る。やがて十代は、それを、いや、『彼』をはっきりと認識するに至った。
 彼は十代と同じアカデミアの制服を纏っていた。アカデミアの生徒だ。アカデミアの生徒が、廃寮になった寮の一室にいる。それがどういうことなのか、十代にはまだ考えられなかった。床に横倒しになったその生徒は、「だれ?」ともう一度聞いた。やはり、先程十代に問いかけたのは彼なのだ。「十代。遊城十代」
 十代は尋ねられるままに自分の名を答えた。「アンタは…アンタは、誰なんだよ。何でこんなところにいるんだ!」

 

「僕は…天上院、吹雪」


 十代は、はっとした。天上院吹雪。十代はその名を知っている。1年前行方不明になったという、明日香の兄だ。初めて十代たちがここを訪れたとき、明日香もまた兄のために一輪のバラを供えるため、ここに足を運んでいた。廃寮の中で十代は明日香の兄の写真を見つけ、明日香に手渡したのだった…十代の目の前にいるのは、写真に映っていた天上院吹雪その人だ!
 「あんた、明日香の兄ちゃんか」。十代が問うと、吹雪はすこしだけ瞳を揺らせて、頷いた。何がなんだか分からない。明日香の兄は、この寮で行方不明になったんじゃなかったのか。十代より大柄な体をちいさく床に横たえたその男は、写真の中の天上院吹雪のように余裕ありげな笑みを浮かべてはおらず、ただ光りのない、虚ろな目で十代を見上げていた。よく見れば、吹雪の両手は後ロープを使って後ろでひとつにまとめられ、ベッドの脚に括りつけられている。
 まるで、何者かが吹雪を監禁しているように。
 訳がわからない。どうして、吹雪がここにいるのか。吹雪を繋ぎ、閉じ込めたのは誰なのか。吐きそうだった。催した吐き気を押さえこむように、十代は勢いをつけて吹雪を繋ぐロープに飛び付いた。「君っ?」と、水気なくかすれた声が問うが、十代は答えない。代わりに十代は言う。夢中になって、口走る。

 

 


「ここにいちゃ駄目だ。あんたは、外に出なくちゃ。明日香が、あんたを待ってる」

 

 

 

 十代にとって、ロープの結び目はあまりにも強固だった。素手ではどうにもならないとわかると、床に落ちていた瓦礫を拾い上げる。がむしゃらに、ロープの結び目にそれを叩きつけるように振り下ろす。その様子を、吹雪が見ていた。光を忘れた虚ろな瞳で。
 がっ、がっ、と床を利用して叩きつけた瓦礫は、やがてロープを断ち切る。吹雪を繋ぐ鎖のようなそれを力強く払って、「吹雪さん、やったぜ、吹雪さん!」と横たわる男の名を呼んで、十代は歓声を上げた。吹雪は、信じられないという目で十代を見つめ返した。その瞳に、十代が映っている。一筋の光明を、吹雪は受け、その瞳を揺らす…

 

 

 

「何をしている」

 

 その時、光は遮られた。

 

「…カイ、ザー…?」

 

 

 

 十代は、自分が開けた壁穴から漏れ入る月明かりを遮るように彼が佇んでいるのを見た。それは、見紛うはずもない。デュエル・アカデミアのカイザー、丸藤亮。かつて十代が決闘して、完膚なきまでに破れた男。光を奪われたその部屋に慣れた十代には、すぐそれが彼であると分かった。そして、足元の吹雪がビクリと身を震わせたのも。
 何故、ここにカイザーが?十代は動けなかった。カイザーがこちらに向かって歩いてくる。十代は、衝動的に立ち上がり、後ずさった。それでもカイザーの脚は止まらなかった。吹雪が声にならない声で何かを叫ぶ。カイザーは、十代の胸倉を掴んでダン!と音を立てて、十代を壁に叩きつけた!

 

「…君か、遊城十代か」
「が…ハッ…カイザー…なんで…」
「何をしていると聞いたんだがな、俺は」

 

 「ぐッ!」、カイザーが、十代を押し付ける手をぐっと持ち上げる。それだけで、きゅうっと首が締まって苦しくなる。十代は、かろうじて薄く目を開けて、カイザーを見返す。
 それは、十代が知らない感情を宿した瞳だった。憎しみ、妬み、それをどう表現すればよかっただろう。灯台で対峙したときとはまるで違う、カイザーの目。執着と狂気がない交ぜになったそれは、十代を震えさせた。…怖い。カイザーが、怖い!

 

「亮っ!」


 その時、吹雪が声を張り上げた。長い間、大声を出すこともなかったのだろうその声は、途中で裏返って、そしてひたすらに決死の覚悟が滲み出ていた。十代が驚いて吹雪を見たように、カイザーも十代から視線を外して吹雪を見た。

 

「やめるんだ、亮。その子を離せ」

 

 ロープから解き放たれ身を起こした吹雪が、カイザーに決然と言い放つ。その肢体が今にも崩れ落ちそうなのが十代にも分かった。彼がここに閉じ込められた時間は、あまりにも長すぎたのだ。写真の中の彼が宿していた光を奪い去る程に。それでも吹雪は、もう一度、その子を離せと言った。強く、そう、強く。
 十代を押さえつける圧力が、なくなる。解放された十代は、ずるずると崩おれて、はーはーと荒い息をする。緩慢な動作で目を上げたとき、カイザーは平坦な声で言った
「帰れ。外で翔たちが待っている」。ただ、冷ややかな目で。「帰れ」

 

 十代は、よろよろと立ち上がった。夢遊病患者のように、頼りない足取りで、しかしまっすぐに出口に向かう。目の端に、吹雪とカイザーの姿が見える。再びぐったりと倒れ込んだ吹雪を見下ろすカイザー。その表情は、もう十代には見えない。
 そのまま十代は、言われるがままに廃寮を出た。

 

 

 

 

 

「アニキ!」

 

 翔と隼人は、廃寮の入り口で十代を待っていた。ああは言ったものの、十代を一人で行かせて自分たちは寮で待っているだけなんてできなかったのだ。偶然落ち合った翔の兄であるカイザー亮が、十代を連れ戻してくれると中に入っていって間もなく、十代は廃寮から出てきた。その手に持っていたはずの懐中電灯が見当たらないのには疑問を感じたが、十代はふらふらと立ち入り禁止のテープをくぐって、翔たちの元に戻って来た。

 

「…アニキ?」

 

 泣いてるんスか?と翔は聞いた。隼人が、どうしたんだなあ、と心配して声をかける。十代は答えなかった。幽霊のようにさめざめと泣いて、語らない十代は、翔たちの目にどこか恐ろしく映った。どれだけ問い詰めても、十代は
その夜の出来事について口を開くことはなかった。

 

 

 

 


「あの子は、1年生?」

 

 カイザー亮が器具を使ってロープを結び直している間、吹雪はそう問うた。亮は答えない。答えずに、赤黒く痕のついた吹雪の手首をもういちど繋いでいく。
 亮が時折口を開くことでもたらされる情報から、吹雪は外の世界ではおよそ1年が過ぎていることを知っていた。2年生だった吹雪と亮は、3年生になっている筈だ。あの子は、今年入学したばかりの新入生なのだろう。…その中に、明日香もいるのだろう。

 

「いつまで、僕を閉じ込めるつもりなの」

 

 亮は、答えない。
 吹雪の問いかけに、もう答えることはない。

 

 穴を、と亮は言った。穴を塞がなければならないな。亮は作業を終えると、立ち上がり、本来の出口に向かう。亮だけが鍵をもつ扉に。1年前、閉ざされた扉に。
 振り返ることなく、亮が出ていく。吹雪はその背中を見ていた。遊城十代と名乗った少年が開けた壁穴から漏れ入る光を頼りにして。

 

 

 

『―――ここにいちゃ駄目だ。あんたは、外に出なくちゃ。明日香が、あんたを待ってる』

 

 

 

 ばたん、と扉が閉じる音を聞きながら、横たわる吹雪は思う。大丈夫。まだ、大丈夫だ。吹雪は太陽が存在することを、今一度思い出すことができた。あの少年のおかげで。例え、太陽が見えなくても、かつて吹雪の太陽にも等しかった彼が吹雪を見なくなっても、吹雪を傷つける闇の太陽になってしまっても。
 太陽は昇る。
 またいつか。

 

 そう信じるように、暗闇の中で吹雪は再び目を閉じた。

 

這いずる太陽

11/09/06