その日は随分と平凡で、当たり障りない一日だった。
暇つぶしに聞いていたラジオから、あの話が流れ出すまでは。

 

 

 

『非常に残念なことですが、
 本日地球は終わります。』

 

 

 

と、
ハートランドの王様が、泣きながら話をするまでは。

 

 

 

 

 


マジかよ?」

 

最初に言葉を発したのはWで、それは随分と間の抜けた、気安い言葉づかいだった。いちばんにそれを咎めるようなXは口を引き結んだままで、彼もまたわけのわからぬ衝撃に打たれているのだろうと感ぜられた。トロンは居城にTVを置いていない。代わりに、Vが昔父から買い与えられた古ぼけた小さいラジオだけが家族の食卓と世界を繋いでいた。ラジオの持ち主のVが、なにごとかぽつぽつとつぶやきを落としながら(何でしょう、誤報ですよねとか、イベントか何かでしょうか、とか)席を立って、ラジオの音量を上げる。
声高になったハートランドが繰り返しているのは同じことだった。くりかえす繰りごとは世界の破滅という核識のもとくるくる回る。Vの指は音量を調節するつまみから離れない。ラジオから流れる電子に変換されたハートランドの声と、トロンがティーカップを持ち上げる音だけが、家族の間に、落ちる。

 

 

 

WX。」

 

 

 

父の声に兄弟はふるえた。ビクリ、と肩をいからせて、俺たち兄弟は、いつから、父のことをこんなにも、おそれるようになったのだろう。トロンはカチャリとティーカップを置いた。仮面の向こうからトロンは息子たちを見ている。

 

「食事を続けなさい。V、食事中に席を立つのはよくないと、教えてきたよね。席に戻るんだ」
トロン!」

 

Vが小さなからだを縮こまらせておずおずと席に戻るのを横目に見つつ、Wは声を上げた。テーブルにばん、といわせて手をつく。

 

「アンタ、今の放送を聞かなかったのか」
「いいや、よく聞いていたよ。そんな真似をしてるヒマがあるのかなぁ。今日は何某とかいう番組に出演するんじゃあなかったの。急がなきゃ」
行けってか。世界が、終わるんだぞ?その真偽を確かめてからだって、遅くないんじゃあないか!」

 

W!」Xが声を荒げる。やっとだ。Xの睨みを受け流しながら、Wは必死だった。ラジオから流れてきた戯れ言を信じたわけではない。ただ、Wは父の声が欲しかった。間違いなく己を導く父の声が。それが、Wの魂が望まぬ声である筈がなかった。
だが、トロンはその金色の眼光をもってWを射抜いた。紫紺のゆびさきをもって、子どもたちを縛りつけた。

 

 

 

「何も問題はないよ。僕にとって、今日世界が滅びようと、滅ぶまいと、大した違いはないんだからね。どちらにしろ、復讐は終わらない。君たちだって、そうだろう?」

 

 

 

諸君、食事を続けようじゃないかそう手を広げるトロンに、Wは跳ね返るように席を立った。「V!」いらだちを鋭い切っ先にまとった声が飛び、慌てたVが後を追う。トロンは嘆息した。Xは出ていった弟たちの背を目で追いながら、ティーカップに目を落とした。水面はたゆたいXのうれいの貌を映していた。

 

 

 

 


「兄さま。兄さま」

 

Vが黙り込んだ兄の様子をうかがって呼びかける。エレベーターの中はトロンが寄越した鬱屈とした空気に満ちていて、Vもうかつに話しかけられない。Wが答えないのがわかると、Vはうつむき、口を噤む。やむなき静寂。

 

終わると思うか?」
「え?」
「世界だよ。お前も聞いてなかったのか、さっきの」
聞いていましたよ、もちろん」

 

ホテルの最上階からエントランスへつづくエレベーターから地上がだいぶ近くなったころ、Wが聞いた。Vはとっさのことにまごついて、Wは舌打ちする。ふてくされるようにVが言って、それから、頭の中でひゅんひゅんとラジオの声が飛ぶ。閉じられた世界はVのものおもいを助けてくれた。

 

「兄さまは、信じてらっしゃるのですか?」
「ああ?信じるか、あんなもん。トロンの奴が何ら反応もせずに、口うるさく言ってくるから、ああ言っただけだよ」」
「そう、ですよね世界世界が、ほんとうに終わってしまったら僕は

 

その時、兄弟の前にエレベーターが開いた。

 

 

 

 

 

瞬間。

 

 

 

 

 

 !」

 

 

 

耳を打つ音。

 

 

 

怒号。泣き声。何百、何千という、知らない顔、この街に住んでいたことさえ知らなかったような無数の人々が、あふれ、湧き出し、駆け抜ける。外に直通するエレベーターを出て、Vは、立ちつくしてしまった。目を疑う。目が眩む。くずおれそうになった身体を、Wが「V!」と支え立った。


それは静寂を打ちやぶるかのような喧躁だった。耳だけでなく、肌がふるえる、痛む、目の前の世界をおそれている。おわる世界を突然に与えられたひとびとの嘆き、動揺、怒り、はやり、ひとつひとつの胸から溢れ出る感情がVを、そしてWを襲った。僕は今まで、この世界にどうやって、気付かずに、いきてきたのだろう。エレベーターの中と外のように、家族の世界とかれらの世界は、分けられていた。目を塞ぐ。

 

「おい、V!しっかりしろ、…V!」

 

Wが弟のたよりない肩を揺さぶる、いくらかあって、Vは自分の力で、ゆうらりと、立った。

 

 

 

「兄さま
V?」
「先ほど、世界が終わってしまったら、どうするか話していましたよね。」

 

 

 

世界が行き過ぎる。兄弟の色のちがう目の前を、世界が通りすがる。あの時の少年を見た気がした。Wはみちばたに座り込み頭を抱える青い少年を一瞥し、Vはひとびとと反対の方向にかけぬける赤い少年と目が合わさった。Wは、Vは、座り込むことも、走り抜けることもできなかった、どちらの方向にも。だからVWをみつめた。

 

 

 

やりたいことがあるんです。」

 

 

 

Vのつぶやきに、Wはいくらかあって、頷いた。付き合っやる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 


…VWが移動したね。」

 

トロンが言った。Xの淡々という報告、モニターの中の悲喜劇、トロンの笑い声と手を打つ音、すべてが同時に進行し、トロンのそれだけが止む。すぐにXも口を閉ざし、コミカルでナンセンスな効果音だけが空虚げに響いている。

 

「分かるのですか。」
「紋章の力を使ったようだからね。僕には、手にとるようにわかるよ」
「所定の場所に、」
「では、ないね。ハートランドから出ている。やれやれ、しょうがない子たちだ」

 

落胆した父(とはいっても、それほどではないだろう。父は、いつもそうだ)は肩をすくめて「ねえ、X」と聞く。

 

連れ戻しましょうか。」
「いや、いいよ。好きにさせておけば良い。遣らかしたりはしないでしょう、Wもいるし。ねえ、X
「何ですか」
「世界が終わったら、どうする?」

 

Xは驚いた。頭の中心で、ラジオのことばを核にしてめぐる惑星のような無数の思考のひとつで、父の意図を探る。単なるXへの遊びか、それとも。いずれにしろXが語れるのは真実のみだ。トロンへささげる忠心はXに虚実をゆるさない。

 

どうも。復讐は、終わらないのですから。やることは、昨日と変わりません、明日とも。」

 

わたしはここにいる、とまでは、言えなかった。トロンはなにごとか、考え込んでいるようだった。肘をついてしずやかにものおもいに耽るさまはVとおなじで、そして父と同じだった。この小さな子どもの姿をしたひとの節々に父を感じるとき、Xは泣き出してしまいたくなる。

 

X。少し、出かけておいで」
今なんと?」
「言葉の通りさ。好きにしたらいい。WVに許したんだから、君だって当然の権利さ。まあ、ここにいてもいいけどね。世界の終わり
「トロン
本当かもしれないね。」

 

はっとした。鎖を解かれたかのような、気分だった急にからだが軽くなって、トロンをかえりみた。トロンは何を考えているのかわからない。昔から、そうだった。父は何も教えてくれない。私にさえ。
父のことばに従って、Xは踵を返した。弟たちは、どこにいるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


V
Wがやってきたのは、ハートランド郊外、かつて兄弟が育ったアークライトの屋敷だった。とはいっても、父の失踪後家族が去り取り壊されたそこには、平らになった土と草むらがあるだけだ。時折、土のすきまから、かたい煉瓦のかけらが見えて、ここに家があったのだ、ここに誰かが住まっていたのだ、ということだけがかろうじてわかる。

 

V…おい、V

 

Wはさっきから、てきとうな瓦礫の上に腰かけて、Vの背中を眺めている。VWの声が聞こえていないかのように、作業を続けている洋服が汚れるのもいとわずVは膝をついて土を掘っている。ちっぽけな指で土を運び、掘り起こす。繰り返す。爪に土が入る、とWは考えていた。

 

「ない」
「あ?」
「ないんです。ちいさくて、甘いぼくたちが最初にもらった贈り物。あると、うれしくて、こそばゆくって、誰でも持っているけど、ぼくだけの、特別な、たいせつな
おれたちの土を掘り起こしても、ないのか」
ないよ。」

 

Vの声がふるえていた。きっとVは泣いているんだろうとWは思った。新緑の両目に、露をうんと溜めて、土に落しながら、Vの、Wの、家族の墓標を掘り起こしながら。
V
が探しているもの。見つけなければ、いけないものを、Wは知っていた。それは、Wが探し続け、見つけなければいけなかったものだったからだ。目が眩むような世界から、家族という囲いで隔てられてきた世界から、WVは逃げ出して、今ここにいる。あの少年たちはどこにいったのだろう。Vは知らないし、Wも知らない。

 

 

 

「ない、ない、ないよどうしよう、兄さま。これじゃぼくは終われない、終わりたくない、このままじゃいやだ、僕は、ぼくじゃないんだものいやだよ、兄さま、いやだよぉねぇ、兄さま。どこにあるの?どこにいるの?教えてよ、兄さま、教えてよ

 

 

 

振り向くVの顔が、土と、なみだで、よごれている。WVに歩み寄った、そのほかに、できることなど、なかった。ここは世界の果てだ。VWにしてやれることなど、何もないのだ。Vが求めるものは、Wが持っているのではないのだから。…V自身がその胸に抱きしめていなくては、ならなかったのだから。

 

 

 

V…

 

 

 

WVをその胸に埋めてやった。何ができるというのだろう、身につけた号、身に負うた業、研ぎ澄ます刃のようなこころ。何が、Vを救ってやれるだろう。何が、Vを終わらせてやれるだろうWは、わからなかった、だから、Wは自分がふがいなかった。Wも、Vも、ここ以外に生きる場所などないのだと、思い知らされるばかりだった、その時に、声は響いた。

 

 

 

 

 

………!」

 

 

 

 

 

振り向く。そこに兄がいる。銀髪を靡かせて、額に玉のような汗のつぶを乗せ、Vを、Wをみている。Vを、Wを、よんでいる。

 

 

 

 

 

「、………!」

 

 

 

 

 

Vの目からなみだが溢れだした。Xがおとうとたちを抱く、Wごと、Vごと、抱き寄せる。XWに、Vに触れ、強く、強く、その腕の中に抱きすくめた。Xの腕の中で、Vと同じように、Wもまた涙を流していた。WXの繰り返すことばの羅列の中に、なつかしく、慕わしい、愛おしい声を、思い出したのである。

 

 

 

 

 

「クリス、兄さま

 

 

 

 

 

VXの名を呼んだ。Xは涙を流した。空から爆弾が放り投げられる、世界の終わりがやってくる。それでもぼくたちは、俺は、私は、いとおしさを抱いて終われるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


まっくらなモニタールームでトロンは腰かけている。かれの目に浮かんでいるのはつくりものではなくてかれの脳裏に刻んだ映像だ。トロンが夢みるそらで子どもたちは笑っている、その名を呼ぶ。子どもたちはいい子に返事をする。はい、父さま。

 

 

 

 

 

ごめんね」

 

 

 

 

 

トロンは目を見開いたままそう、言う。だがいずれ、大いなる手がかれの瞼を閉じるだろう。かれはみずから目を塞ごうとはけしてしなかったが、子どもたちのことをいとおしげに想った。

 

マリオネットアクター

12/08/05