私の母は女という性を嫌悪していた。職業上のパートナーであった父と結ばれ、アークライト家の籍に入ってから、いっさいの女性とのふれあいを拒んだ。もちろん彼女自身も女性として振り分けられる存在だったが、つまりは自分自身も彼女にとって嫌悪の対象だったのだ。そして、彼女から切り分けられた存在としての私も。母は、自分の股から排出した私の股間を覗き見て悲鳴を上げたという。
幼心にも愛されたかったのだろう。私はやがて生まれてきた一番目の弟を、姉として守りうたうより、兄のように言い諭すことを覚えた。スカートではなくズボンを履いて、手のかかる赤子のためにかけまわり、背に負うて足になってやると、母は喜んだ。小さな弟はきゃあきゃあと笑っていた。
二番目の弟が生まれるころ、ことばを学び始めた一番目に、私を兄と呼ぶように教えた。にーさま、にーさま、と私の腰に縋りつく弟は愛らしく、愛おしかった。二番目の弟を抱いた母が笑っている。その枕元で、父も笑っている。わらいごえ。私の愛しい息子たち。母の笑み、父の笑み、黄金の日び。

 

 

 

 

 

「母さまは、魔法にかけられているんだ。」

 

 

 

 

 

父がそう、囁いたのは、いつのことだったか
母さまには魔法がかかっている。それは君に少しばかり窮屈な思いをさせている。だが、いずれ魔法はとけるだろう。それまでは、クリス、君は、私と母さまのかしこい息子、弟たちのたよれる兄でいてくれるかい。

 

 


実際のところ、母がいなくなった後も私の魔法がとけることはなかった。母がかけた魔法が私を父と母の息子でいさせてくれた、弟たちと同じ。それはしあわせの魔法だ。家族の笑顔とわらいごえを生む魔法。父はそれを看過し、一番目の弟はあやしみながらも父に倣い、二番目の弟は純朴に私のことばに随った。
母はもういないけれど、満たされていた。私は父の賢い息子、弟たちの頼れる兄。私のからだが熟していき、父と同じ場所に立ち、父と同じものをみることを許されたとき、私はこの上ないよろこびを覚えた。これで、私は。彼女のように。これで、私は、やっと

 

父が失われたとき全てはうちくだかれた。私は弟たちを守ることはできず、父をうらぎった男の下で息をしていた。ただ、息をしていた。熟していく。私のからだが、熟していく。熟れて、くさり落ちていく。あの男は私にドレスを着せた。いやがる私に夜のドレスを着せて、くさびをうちこみ、躍らせた。私は男なのに。私は男なのに。それでも、私の柔いからだはドレスの胸元の生地を正しく浮かび上がらせ、むき出しにされたひみつの場所は濡れてしずくを零した。なんて醜い。なんて穢れている。母のおそれた、吐き気がする、わたしという、

ああ!

私はどうしようもなく女だった。だが、私は息子であり、兄であった。女の格好をさせられて男に犯されていた。じゃあ私はなに?何であればいい?あのなつかしくいとおしい日びに出会うためには。

 

 

 

「クリス

 

 

 

熱に浮かされてダンスを踊る私をあの子が見ていた。それは私をうがつ男の息子だった。かれは私を軽蔑しなかった。私を兄とも、姉とも、ミス・アークライトとも呼ばなかった。私の手を取り、その上にキスをした。

 

 

 

「あの人の息子でいい。あなたの弟たちの、兄でいい
 あなたは俺のクリスだ。俺は、あなたを慕わしく思う。」

 

 

 

それは真実だけのことばだった。彼が、私の心臓を射抜いた。愚直なまでのまなざしは、私のうらぎりを受けても研ぎ澄まされ続けていた。それは、求めるものを求めるがままのかたちで手に入れるための、強さ。私が持てなかった。

だから私は君に敗れたのだろう。女のからだを抱きしめて、滑稽なまでに男を装う私のおろかなダンス。父は愉快そうに私を観覧し、Wは私を皮肉げにXを呼び、Vは苦しげに兄さまと呼んだ。だれの目から見ても私は女だったろう。だが私は息子だった。兄だった。そうありたかった。君は私を認め続けてくれていた。手の上のキスからずっと。
私は思ったのだ。君ならば。君ならば、やってくれる。私を認め、慕い続けてくれた君ならば。この悲喜劇の幕を引き、おどる私を抱きとめてくれると。そのとき、私は、私の家族は、舞台を下りて、笑いあうことができると。その時には、もう魔法はいらない。言葉に意味を、時間に意志を。私のちっぽけな呪いは、祈りのようなそれは、

 

 

 

 

 

「クリス!」

 

 

 

 

 

魔法は、とける。

 

 

 

めざめの時に君がいた。そのことに私はよろこびを覚えた。

 

Good Morning or Good Night

12/07/01