「抱いてくれ」
弟は仮面を被って私の前に現れた。かれの表情をいろどる情動というものが、金属のようにすっかり平らに叩き慣らされ、かれの貌を覆っていた。
ただ、目だけが。舞台の上では爛欄として眼窩に収まっているかれの両目は、今にも零れ落ちてきそうにとろけて、情欲を燃やしていた。
「トロンにも、同じことを頼んだ」
「…トロンは何と。」
「Xに抱いてもらいなって。」
どうやら、これは主の思し召しらしい。兄に抱かれろというのがWに下された命ならば、私のやるべきことはもう、Wも、私も、しっている。だが、私は動けなかった。Wが私を見ている。くさりおちる赤が涙のように零れて、雫となり、波となり、私を溺れさせる…。
「知ってるんだろ。」
Wは私のベッドに乗り上げていた。弟の両目が眼窩にちゃんと収まっていて、私を見つめ、問いかける。
ぎし、とベッドが軋んで、悲鳴を上げた。悲鳴はシーツの隙間に押し潰され、それが上げられたことすらわからなくなる。
「俺とVがやってたこと、知ってるんだろ。」
弟と視線を交わす。とろけだす赤は私の青をとらえ、情欲が流れ込む。私はなすべきことを為す。弟の腕をつかみ、ベッドに引き倒す。弟は漸う仮面を外して、笑みを浮かべた。巧い笑みではなかった。泣き出しそうな顔をして、弟は笑った。
組み敷いたWにくちづけながら、私はもうひとりの弟のことを思っていた。まどろみの中の私の弟。そう、私は知っている、あの子は、いや、あの子たちは…。
*
「あっ…あぅっ…」
私たちの復讐劇の舞台袖、月明かりのベッドの上で、弟たちは番っていた。互いの影を折り重ね、吐息を混ぜ、性器を擦りつけ合うさまは、分かたれた存在がひとつに戻ろうとするかのようだった。
「あ、あ、きもちいいっ…きもちいいよぉ、兄さま…」
弟が泣く。組み敷かれた弟が、Vが、両手を広げ、兄の、Wの背を抱く。Vの抱擁で、平らな胸があわさり、性器のようにたちあがった二対の果実が押し潰れる。Wのうめきを聞くと、Vはさらなる快感に包まれ、半ば泣き叫ぶようにしてあえいだ。
「にい、さま…僕、ぼく、溶け、とけて、しまう…ぅ」
溶ける。溶ける。Vのことばの通りに、弟たちの間に、さかいめが無くなる。溶けてしまう…。
その時、Wはいちど顔を上げて、Vを見下ろした。Wは、快楽の渦中にあるVをみつめて、その耳元にうれた唇を寄せる。
「―――」
WがVになにかを囁く。私にその声は聞こえない。だが、Wが唇を動かしたかたちを私は知っている。私は知っている…。
*
Wのそこはほのかにあたたかく、湿っていた。親指の腹で入口になるその場所をなぞると、Wは腰を上げて私にこたえた。折り曲げ、立てた膝の向こうで、とろけるような情動を燃やす瞳が私を見ている。だが、Wの表情は、抱いてくれと私に懇願したときと同じように、驚くほど平らだった。熱にうかされたようなWが「慣らすのは適当でいい」と言った。言う通りにするわけにもいくまい、と思ったが、弟が発する熱に、いつ自分も冒されてしまうか、わかったものではなかった。
「ひ、…うぅ…っ」
くちづけながら指を差し入れた。臍から、腹の上で走る筋をなぞり、両胸の果実を順番に愛した。Wはくちづけを落すたび呻きを漏らし、私はWの肛門で指を行き来させた。挿入の際の痛みと愛撫の湧き立たせる快感を、私はうまく天秤にかけた。私の唇はむき出しのからだの塔を昇っていき、Wのそれと出会ったときには、Wのアナルは私の指を三本まで迎え入れていた。親指と小指を抜いてひとまとめになった三本の指は、弟の腸液に浸かり、ぬらぬらと光っていた。
Wにくちづける。唇と、唇を合わせ、あつい吐息をとじこめる。ん、ん、と弟はくぐもった音を漏らしたが、口付けのおわりを私は定めかねていた。痺れを切らした弟が強引に顔を逸らして、キスを終わらせた。その拍子に弟に挿入していた指が穴から抜けて、さっきまでずっと耳を打っていた水音が消えた。抜き差しをするたびじゅぽじゅぽと音を立てた弟のアナルは、性器としてすっかり整っていた。
長いキスを終わらせ、はあ、はあ、と肩で息をしながら、Wはふらりと体を起こして私のペニスに触れてきた。Wはものを語らなかった。半ば勃ち上がったそれを、両手の指を網のように交差させて包み込み、先端を口に含む。ふ、ふ、という鼻息が、私のペニスを伝い、陰毛まで震わせる。私は身震いをした。私の指と唇が弟のからだを蹂躙したように、今度は弟の指と唇が私を蹂躙した。
「、Wッ…」
私は熱っぽい吐息とともにそう吐き出す。Wはくちゅくちゅとやっている唇を私の先端から離して、網を解きほどく。Wは倒れ込むようにふたたびベッドに横たわり、股を開いた。私の指で解したWの入口は、ぬれて、ひらいていた。Wはさきほどまで私のペニスに触れていた指を、自分のアナルにやって、入口を示した。Wがささやく。「抱け」。私の前に現れたときと同じように、「抱いてくれ、兄貴」。
最早、情動の渦から逃れる術はなかった。私はいきりたつペニスを弟に挿入した。
弟は声にならない叫びを上げて、私を受け入れる。熱が私を包み込む、熱をもったWの肉が、粘膜が、私をとらえて、くらいつく。
おそろしい情欲に翻弄されながら、私は弟を見下ろした。弟に突き入れ、揺さぶるたび、弟の両目の赤はなみだのようになって零れ落ちてしまいそうだった。私は腰を動かしたまま、弟の頬を触れる。…ほんとうに、零れ落ちてしまったら。
「W、感じているのか」
「あ、ぅぁあ、」
聞くまでもない、と思ったが、問わずにはいられなかった。弟のからだは熱にうかされ、汗ばみ、快楽の海に揺られていた。その目にやどる情欲の炎は、私をもその業火に包みこみ、燃えあがっていた。弟自身も、また、同じ炎に身を焼かれ、みもだえていた。
Wはうまく息ができないまま、「ふ…くぅ、ふっ」と苦しげに息を漏らして、それから、言った。「う、ふくっ、ブイ、おれっ、」
「…溶けち、まいそぉ…っ」
私は、目を見開く。
溶ける。溶ける。境目がなくなる、私とWのあいだの。
ヴィジョンが私の前を行き過ぎる。もうひとりの弟の、Vのヴィジョンが私をさらうとき、Wは私をみた。眼窩に収まる紅が、私をとらえたのだ。
*
「きみは好きでWに抱かれているのか」と私が問いを投げると、投げかけられたVの背中がびくっと波打って、役目を終えたティーセットを乗せたトレイががちゃんと鳴った。たっぷり時間をかけて振り返ったVが赤々と頬を火照らせて笑みのかたちに顔を硬直させているのを見て、私は額に手を当て、やはり、と嘆息した。Vに問うための適切な時とことばを私はずっと探していたのだったが、やはり、しくじったようだった。
「に、兄さま、それって、その…」
「いや、すまない。そうだよな。私は、そう…Wが君に強いているのではないかと、それだけなんだ、V」
私までもが赤面する。ティーカップを持っていられなくなってソーサーに戻し、Vに向かって言葉のたりない自分の言葉をとりかえすがごとく手のひらを見せる。するとVは即座に「そんなこと!」と言った。赤い頬のVが恥じ入るように俯いて、言葉を続ける。「そんな…こと。僕が、兄さまに…その、抱いてもらっているんです。」
「それは、本当か?」
「ほんとうです!その、いけないことだとは、分かっているんですけど…」
Vももどかしい痺れを覚えたのだろう、トレイを置いて、空いた両手のゆびを胸の前で交わす。心なしか色づいた指先が、思い思いに空を撫でるのをみて、しどけない弟に居心地悪い思いをさせているのを申し訳なく思った。
「…怒っておられますか?」
「…いや。同意の上でしていることなら、私が言うことはない…」
「そこだけは、本当です。W兄さまは、優しいかたですから…」
「優しい?」
ここにいないもうひとりの弟の姿を思い浮かべる。粗野で、乱暴者で、何かというと目上のものに食ってかかる。それを、腕白だと笑まれるような瑞々しい少年らしさは摩耗し、ただつるぎとしての鋭利さを増していくばかりの弟。
Vの口にした言葉と、Wの姿を重ねようと試みる。すると、あの光景が浮かんだ。弟たちがつがいあう光景。重ね合い、すり寄せ合い、一つにならんとつながるふたりの姿。
「…溶けてしまいそうになるんです、」
Vは言う。Vの、爪さきから首元までを覆うヴェールの下に、薄雪のような柔肌がかくれているのを私はしっている。それが、Wの褐色のそれとふれあい、熱をもち、境界までもがなくなって、溶けていくのを。
「W兄さまに抱かれて、W兄さまにふれて…さかいめが、そう、境い目が、なくなるんです。兄さまのなかに、とけて、消えてしまいそうになって…」
Vは言う。
「そんな時、W兄さまが」
「呼ぶんです」
何を?と私は聞いた。Vは笑む。ほがらかに笑む。その時僕は、境界を取り戻すんですと、Vは言った。
*
Vが泣く。
さみしい、さみしいと泣いて、
Vは、輪郭をなくす。
Wは、それを抱きとめる。
Wの腕の中で、Vは満たされる。
肌と肌が、心と心が溶けあい、ひとつになる。
Vが泣く。
溶けてしまうと泣く。
Wはそれを抱きとめる。
ひとつになるまい、と、
このけがれのない弟との境いを、なくすまい、と
Wは、
W、は
*
「ああああああああああ!!!!」
その時、Wが泣きだした。望んで私を受け入れ、揺さぶられるままのWが。
「あっ…うぁっ…ああっ…あー…っ」
Wが泣く。Wが泣く。シーツに顔を伏せて、声を上げて。
「あー…あぁー…」
弟とつながりながら、さかいめが無くなるまで皮フと粘膜を擦りつけ合いながら、私はWを見下ろしていた。声を上げて泣くWのすがたはVと重なった。この子どもたちはどんな気持ちで繋がりあってきたのだろう。復讐のために与えられた名を負って、あらゆる温度を振り払い、この子たちは。存在をなくすほど、身を寄せ合い、溶け合うことを望んだあの子を、引き止めたのはWだったのだ。Vを人間のままでいさせたのは…Wの腕であり、声であった。
私はWを揺さぶる。さかいめが擦れる音がする。Wは泣いて喘いだ。アナルを押し広げ、いりぐちを柔くとろかしたものを、ギュッと締めつけて、おさえこむ。
「…とかして…」
あにきのなかに。
とかして。
ころして。
Wは泣いた。
私は、
「…Wッ…」
なまえを呼んだ。
泣くWのなかに、私は精液をたたきつけた。
*
「ねぇ兄さま。X兄さまは、僕たちのことを知ってらっしゃるみたいですよ」
からだの火照りがおさまったころ、けさ上の兄に指摘されたことを話した。すると兄は、「はあ?お前、兄貴に気付かれてないと思ってたのか?」なんてばかにしたように言うから、驚いてしまう。これでも、いつ切り出そうかと機会を見計らっていたのに。
「えっ、そんなに、声、大きいのかな…」
「そういうのじゃなくてさあ…アイツだって俺たちのこと、見てないわけじゃないんだ。それくらい気付くだろ。まあ、お前の声があんまり響くから、口出ししてきたのかも知れねえがな?」
「兄さまっ!」
僕は、はずかしくって、兄さまのはだかの胸をぽかぽか叩いた。兄さまはちっとも堪えてはいなくて、逆に僕の頭をぐっと胸に寄せて、ぐしゃぐしゃと髪の毛を混ぜるように撫でる。おかしくって、縮こまって笑った。兄さまも胸を震わせて笑った。涙が出てきた。兄さまが僕に触れる。僕と兄さまの間でさかいめがなくなる。僕と兄さまは同じではないけれど、あのころと同じではないけれど、僕と兄さまは、からだよりももっと奥にあるもの同士で、溶け合っている。
「兄さま、」
ぼくたち生きていますねと僕は言った。
当たり前だ、と兄さまは言った。
*
「V、」
おもちゃ箱の中でトロンが歌っている。おもちゃ箱の主は、動かなくなった美しい少年の人形の手を取り、うたう。
「君が望んだのは過去だった。だから、過去を繋ぎとめる名前と、今を生かすぬくもりをあげた」
「Wが望むのは今。だから、ぬくもりだけを与えてやった。Vの名を呼ぶのはかれだけれど、かれの名を呼ぶものはいない。何故なら、ポーンに名前はいらないね。」
「そして、X。かれが望んだのは未来だ。父と、弟たちとの、安らぎのゆめ。だから、かれには何もやらないよ。ばかげたゆめをみるためには、過去も、今もいらないからね。」
さみしくないよ、V。もうじきかれらも役目を終える。そして君に寄り添うだろう。そのときはもう、君もいないし、Wも、Xもいない。境目なんてなくなるんだ。
トロンはうたった。
あの子が泣いている。
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