Xの味覚異常に気付いたのは、Wが公式大会で初めて賞金を得たときだった。今から思えばはした金だったが、その夜WはXとVを食事に連れ出したのだった。トロンは活動資金とする手筈だったファイトマネーの一部をささやかな浪費についやすことを許してくれ、羽を伸ばしておいでと兄弟たちを笑って送り出してもくれた。いけないことをしてるつもりだったのだろう、夜のハートランドを徘徊するのをVはやけにはしゃいで、Wもその日ばかりは乱暴な言葉で咎めることをせず、転ぶなよ、などと、兄のような口ぶりでVの小さな背中を追いかけた。 「W」 Xが音を立てずに食器を置く。ああ?と聞き返した声が存外煮え繰りかえっているのに静かに驚いた。XはWを見さえしなかった。Wに声をかけたくせ、Wから目を背けて外の景色を見ているのだった。 「食事中は、落ち着いて食べなさい」
そう言って、Xはまた機械的に食器を皿から自分の口に運びはじめるのだった。Wを咎めたとき、Xの視線の向こうには、ハートランドがあった。
「紅茶だけは味がわかる。それ以外は、私にとってはどれも同じだ」
あの夜Xがみつめていた、あの忌まわしい場所でXは五感のひとつを失ったのだろう。むかしの自分がいたあの場所のことをWは好んで思い起こそうとは思わない…恥辱と痛み、嫌悪感、淀んだ記憶の切れ端がWの頬に刻まれた逆十字をなぞり、ぞっとさせる。いつまでも耳にこびり付いているのは兄さま、兄さまと耳障りなくらいにVが泣き喚く声だった(それは、もしやW自身の声だったかもしれない)。Xの悲鳴は聞こえなかった。Xはどんなときでも声を上げたりしなかった。弟たちを怖がらせるとでも思ったのだろうか。Xは、傷つき、泣き腫らした目の弟たちをいつも黙って抱き寄せてくれたのだった。 「…変な気を遣うなよ、W」 誰があんたの舌に精液を染み込ませたのだろう。舌を湿らすたびに、その味を甦らせるまでにしたのだろう…精液の味。苦くて青臭い。その味ばかりを思い出させる、背ばかりが高い、がりがりにやせたXのからだ。 「…何の味がした?」 Wがそう問うと、Xはすこし黙ってから、「触れるだけだったろう。味など分かるものか」と言った。おどろくくらいに平坦で涼やかな声にWは逆に苦しくなってしまう。「じゃあ、大人のキスをしようか」。 「…お前はまだ、子どもだろう」 Wがほんの少しおそれたように、Xもおそれたのだろうか…Wのくちの中の味が青臭くて白濁としたものの味に感ぜられることを。たまらなくなって、WはXの胸にぽすんと顔を埋める。 「とりかえせや、しないんだ…」 ぽそりと呟いた言葉は、いやに覚束なかった。音になったかどうかもWにはわからなかった。でもそれはきちんと成功していたようで、Wを抱いているXが答えた。 「ああ。だから、復讐するんだ」
Xがそう言う。小さな口に収まりきらない劣情を詰め込まれて窒息死した少年が。Wは息ができなくなりそうだった。舌の上に吐き出せない苦みが乗っていた。
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甘いものなんだ
12/02/07