結婚には祝福が必要だ。
それから花嫁のためのヴェール。
式を挙げようとトロンが言った。ぼくたちに神は不要で、すべてはトロンのおわしますわが家で執り行われた。病める時も健やかなるときも、トロンのうたうコンテクストは、書物におさめられるべき聖句となる。
兄と姉が向かい合っている。
姉は金色と朱の房をあわせて後ろで結い上げている。かたちよくふんわりと弛む項は、姉の質のかたい髪の下にひめられたやわらかな部分をあきらかにする。首元から肩までをさらけだした純白のドレスは、姉の母ゆずりの浅黒い肌にすばらしく映えた。姉のしなやかなからだに沿って走る姫君のライン、そのすそ野に慎ましげにのぞくたわわのフリルは、姉がみずから縫い付けたもの。じぶんの花嫁衣装に針を通したゆびは、これもけがれなく白いグローブに覆われており、腰のふくらみのうえにゆるく組まれている。
兄は長くうるわしい髪をみっつに編んで、垂らしている。そのさまは、まるで昔の兄のようで、はにかみ笑むようすもむしろ少年のようだ。細くながく伸びる兄のからだがテイルコートをまとうのは、ためいきをついてしまうくらいに格好がいい。糊のきいたカラーとひだを寄せてはなやかなフリルをつくったシャツに、まったき白のタイを締め、兄はほほえんでいる。嘘みたいにやわらかに。
「主よ、永遠の愛と忠実を彼らに与え、 絶えざる光で照らされるよう。約束の地でわれらに賛歌が捧げられ、 誓いは果たされる。わが祈りを聞き届けたまえ。すべての命は主の元に返るだろう。
主よ、永遠の安寧を彼らに与え、絶えざる光で照らしたまえ」
トロンが謳う、その声を聞きながら、姉が笑む。姉を覆い隠す花嫁のヴェール。ルージュを引いたくちびるが笑んだのだけが見えた。その瞳のやさしいかがやきを、兄だけがしっている。
「あんた。…惚れ直しちまうくらい、格好いいぜ」
姉が笑う。ヴェールの向こうで、姉が笑っている。兄がわらった。はにかんで笑った。トロンが謳う、誓いのくちづけを。謳い上げる。くちづけを!
「…何回だって、あんたに恋をするよ」
兄と姉のくちびるが出逢う。トロンが手を打つ。祝福だ。ぼくは聖餐ののった食卓の下でにぎりしめている、兄と姉の笑み、ぼくは一人、握りしめる、僕は、僕は、僕は、ぼくは笑む。くちづけを。
兄と姉がよこたわっている。あまねく主と理に背いた男女にはふさわしい罰が与えられた。おなじ血の通う兄の体液を溶かした姉の胎の中にはきよめが注がれた、どことも知れぬ野獣のような男たちの子種。ふくらんだ腹を抱えた姉はぴったりと瞼を閉じ身動きひとつしなかった。語るべきものがたりを持たぬ女がうすぎたなくそこに寝そべっていた。
「………、」
兄は。
兄は、手を伸ばした。同じように、冷たい床によこたえられた妹へ。兄、そしてその妹、からだとこころを交わらせ、手に手を取って、世界の果てへとかけ出して…そうしてつかまえられたあわれな兄と妹は、主によって、わらって赤く光る紋章の祭壇にそなわれた。かれらは奪われる。えいえんに奪われる。いちど溶け合ったからだとこころはとわに切り分けられ、つないだ手は離される。
「………!、………!」
兄が名を呼んでいた。うしなわれた名を呼んでいた。妹を、愛する女を、かれがこの世でもっともいとおしく、たいせつな、そう選んだ女の名を。彼は呼ぶ、彼は呼ぶ、手を伸ばす、姉が兄を選んだように、兄もまた姉を選んだのだ。彼女の名を呼べるのは彼だけなのだ。彼は選んだ。彼女は選んだ。愛し合った。選び合った。たったひとり。
僕はひとり。
「がっ!?ぁ…あっ…!!」
僕はかれの手を踏みしめる。靴底をもってかれらの愛を貶める。
悶絶する兄を、僕は見下ろした。
「…贅沢な忘却の安寧を、贖えるとでも思いましたか?」
かれは呻く、かれの手は彼女に届かない、切り分けるのは僕だ。僕の手はナイフを握る。
「幾度でもその尊き愛と忠実を繰り返すがいい。わが主とこの世の理への背徳にくるしみ、悩み、そして結ばれるがいい。幾度でも、幾度でも。おまえたちが最早僕の兄と姉でないのなら。」
幾度も、僕はナイフを握る。
「僕はお前たちを、祝福する。」
幾度でも。
僕は笑う。僕は笑う。僕は笑う。
わらいごえが聞こえる。いとおしい笑い声。僕は遠くでそれを聞いている。トロンが手を叩く。僕はナイフを振り上げて、それで、おしまい。
|