「お前の母は、預言を歪めようとして死んだのだ」

 ヴェルフェディリオ・ラファ・フェンデは父の言葉が信じられなかった。少年は生まれた時からフェンデであり、その父も生まれた時からフェンデであった。フェンデにとて、始祖 ユリアが残した預言に逆らうことなど、考えもしないことだった。

「どうして母さんはそんなことをしたの」

 父は応えなかった。少年の目に熱いものがこみ上げる。目尻に涙を浮かべて、少年は沈黙した父の胸に何度も拳を打ち付けた。父の腰ほどしかないヴェルフェディリオは、自分の中の 感情を理解しきれない。悲しいのか悔しいのか、分からないまま、父のコートに涙の滴が点々と落ちていく。

「ヴェルフェディリオ、よく聞きなさい」

 父は低く、染み入る音で話した。父は、息子の頭に手を置いて、ゆっくり手を動かした。父のいつものやり方だった。不器用な父は、自分と良く似た息子の髪をいつも壊れもののよう に撫でた。

「お前の母は、預言を覆して、死んだ。これから、私も彼女と同じことをする。ヴェルフェディリオ、お前は私と彼女の息子だ。お前の好きなように、生きなさい」

 そして父は死んだ。





 俺は預言に縛られて生きてきた。
 あの時親父が俺の譜石を詠んで、砕こうとして、カンタビレに殺されてから、俺はずっと親父が詠んだ通りに生きている。
 あの時親父が何を考えて、何をしたかったのかは分からないままだ。問いただしたくとも当の親父は墓の下で、母さんのことは記憶にもない。
 母さんは預言を覆して死んだという。それがどういうことなのか、どんな預言を覆したのか、俺は知らない。預言を覆すなんていうことを、俺が赤ん坊の頃に死んだ母さんが本当に やってみせたのか。真偽は分からない。
 好きなように生きろと親父は言った。親父の言葉を信じて、母さんが預言を覆したとしよう。それが、俺にはできるだろうか?…分からない。今の俺にとって、預言に逆らうなんてこと はできっこない。
 俺は知っている。俺が生まれた日から俺が死ぬ日まで、全部知っている。

 …だから、さ。
 ごめんな、ヴァンデスデルカ。俺は、知ってたんだ。





 ぐらり、とホドが揺れた。
 ホドを踏み荒らすキムラスカの愚か者どもを神だかなんだか言われる右手で薙ぎ払い燃やして回る俺は、肩ではぁはぁ息をしながら、ああ始まったなと思った。
 これで、ホドはおしまいだ。
 ホドのあちこちに禍々しいイフリートが立ち上がっている。あんなに美しかったこの島が。ユリアが愛したこの島が、もう終わってしまった。
 俺は、どんな表情を浮かべていいかわからなかった。そうしていると、幼いころに戻ったような気がした。ガキみたいに、ああガキだったけど、べしゃべしゃになって泣いて、親父に 頭を撫でられていた俺に。

「父上!」

 俺ははっと我に返って、息子の声に振り向いた。
 ヴァンデスデルカ。俺の息子は、お腹の大きいセクエンツィアの手を握って、俺を呼んでいた。俺に似ないで真面目な息子。顔を、べしゃべしゃに歪めて、泣いている、息子。
 自分の故郷を、沈めたこどもだ。
 俺は知っていた。このとき起こったことを、これから起こることを。知っている。知っているのだ。
 ヴァンデスデルカとセクエンツィアの背後に、キムラスカの兵が迫っていた。

(俺は…ここで、死ぬ)

 俺は考える。
 俺は生きることができる。俺はフェンデの当主で、ホド最強の譜術士だ。俺は生き延びることができる。ヴァンデスデルカとセクエンツィア。ふたりを見捨てれば、生き残ることが できる。俺はまだ若いから、ホドが終わっても、ホドじゃない場所でフェンデを続けることができるだろう。俺は預言を覆すことができる。預言に逆らうことができる!

「…する訳、ねぇだろうが」

 俺は駆け出した。動け、俺の脚よ。渾身の譜力を込める。親父の最後の晴れ舞台だぜ、カッコぐらいつけさせてくれよ。俺は譜力で満たされた塊となって、今まさに振り下ろされよう としていた剣とヴァンデスデルカとセクエンツィアの間に割って入る!

「父上!?」

 キムラスカの兵は圧倒的な譜力の前に砕け散る。そして俺の頭上に、倒壊した家屋が迫っていた。ここまで預言通りかよ、とちょっと笑けた。
 最後に家族が見たかった。振り返ると、ヴァンデスデルカが泣いていた。情けない泣き顔がよく俺に似てる。俺にあんまり似てないって思ってたのになあ。

(ごめんな、ごめんな、ヴァンデスデルカ。ごめんなセクエンツィア、ごめんな俺のかわいい、もうひとりの、俺の子供。馬鹿な親父でごめん。俺は好きなようにやったから、お前たちも 好きなように生きてくれ)

 なあ、俺は親父みたいになれたかなあ。
 ヴェルフェディリオ・ラファ・フェンデは、崩れゆくホドとともに、大理石の床石の上に崩れ落ちた。